【連載】10兆円産業化を目指すDgSの今昔物語⑦

2021年8月26日

ウエルシアHDを日本一に導いた初代会長の鈴木孝之さん①

薬局等の新規出店を阻止していた適正配置条例が存続していた時代の1965年、小さな薬局が埼玉県春日部市に産声を上げた。その主、鈴木孝之さんは、自店近くの繁盛するドラッグストアで買い物し、「楽しく、地域住民から親しまれ喜ばれる店をつくりたい」と思うようになった。53年後の今、先を見据えた経営戦略、素晴らしい同志(人財)との巡り合い、人財教育等々、地域住民に親しまれ喜ばれる店づくりに成功した。ウエルシアHDは年商6952億円、二桁成長をめざすドラッグストアチェーントップにまで上り詰めた。2014年に亡くなられた鈴木さんの遺志は、池野隆光会長たちによって受け継がれている。(記事=流通ジャーナリスト・山本武道)

1965年に小さな「一の割薬局」をオープン

私と鈴木孝之さんの出会いは、1号店の「一の割薬局」に続き、2号店の「鈴木ファーマスィ」を出店したときだった。医薬品小売業の記者となって、各地を取材していたなかで、お会いする機会があったが、店舗を訪れるのは初めてだった。

当時、適配条例によって自由に新規出店ができなかった時代に、2店舗を開設した鈴木さんから連絡があった。もっとも鈴木さんの店は、他の記者が時折取材に行っていたが、たまたま不在だったために私にお鉢が回ってきたのだった。

自由きままに新しい店舗をもつことができなかった時代にあって、多店舗展開する積極的な薬局は、まだ少なかった。「それにしても、多店舗展開するくらいだから、きっと大きな店であろう」と現地に向かった。しかし、新店舗は、予想に反して小規模だったが、経営者の鈴木さんは、「やるからには日本一をめざそう」と夢をもっておられた。

「ドラッグストアで買い物をしていて、自分自身もとても楽しかった。私も、ゆくゆくは、地域住民から親しまれ喜ばれる店をつくりたい」

ドラッグストア経営への夢を語っておられた鈴木さんの笑顔が、今もなお、まぶたに浮かんでくる。繁盛店の経営者が鈴木さんを訪ねてきた何度も、繁盛しているドラッグストに行き経営者と言葉を交わすまでになった鈴木さんのもとへ、ある日、その経営者が訪ねてきた。

理由は「後継者がいないので、店舗を売りたい」とのことだったそうだ。この瞬間から鈴木さんの夢は、正夢となったのだった。これがきっかけでドラッグストア経営のイロハを学び、ウエルシアHD繁盛の基礎を築いた。

ドラッグストアとは、「快適な生活を過ごすための商品と情報があって、店内で楽しく見て回って買い物ができる場だ」と、自らでドラッグストアの素晴らしさを体験された鈴木さん。記者として駆け出しの頃に出会った大勢の経営者の一人、鈴木さんとお会いするたびにワクワク、胸躍る気持ちでお聞きしていたころが懐かしい。

香港の展示会の参加者名簿で見つけた鈴木さんの名前

それから数年が経過した。そのうち鈴木会長がお忙しくなりお会いする機会がなくなり、疎遠になってしまった。しかし、鈴木会長との縁は、それで終わらなかった。あるきっかけで再会を果たした。

香港で開かれるサプリメント関連の展示会で、「日本の現状を話してほしい」と主催者から講演を依頼された。そこで、展示会のことをサプリメントに造詣の深い、当時アインファーマシ―の会長として活躍されていた今川美明会長にご紹介したところ、「これから薬業界にとって、サプリメントは重要なキーワードとなるので、ぜひ参加したい」となり、今川会長とともにドラッグストアと調剤薬局経営者が参加することになった。

今川会長が参加されることを主催者に伝えたところ、「それならば今川会長にも講演をお願いしたい」となって、私と今川会長のダブルゲストで話をした。これがきっかけで、日本からもドラッグストアや調剤薬局経営者らも参加することが決まり、参加者名簿を見ると「ウエルシア関東 代表取締役会長 鈴木孝之」の名前があった。

世の中には、同姓同名がたくさんいるので、かつて私が懇意にしていた薬局経営者とは思わなかった。だが何となく気になり、ウエルシア関東の鈴木秘書に、「会長さんは、春日部で一の割薬局を経営されていた方ですか」問い合わせた。「昔のことを良く覚えておられますね。当社の会長は、確かに一の割薬局を経営していました」との回答が戻ってきた。

かつて私を懇意にしていただいていた一の割薬局経営者の鈴木さんとウエルシア関東の鈴木会長が同じ人物であることが、この名簿で明らかになったのだ。鈴木会長とお会いしていない期間、調剤を主力としたグリーンクロスが誕生。M&Aを繰り返し、現ウエルシアHDの会長・池野隆光さんが統率していたドラッグストア企業と統合して企業規模を拡大、ウエルシア関東に社名を改称したことを聞いた。

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