在宅医療にかかわる医師・作家の南杏子氏インタビュー

2021年5月27日

特別インタビュー :終末期医療に携わる医師で作家の南杏子氏に聞く『患者と家族、そして在宅医療の心』

「人生の最終章では、ここちよさを最優先にした医療がいい」

在宅医療を手掛ける小さな診療所を舞台に、医師と看護師、患者と家族との交流を描いた映画『いのちの停車場』が、5月21日、全国一斉に封切られる。原作者は都内の病院に勤務する現役医師で作家の南杏子さん。高齢者医療を志すきっかけの一つは、大学生の頃に、同居していた祖父の介護をする祖母を手伝った経験だ。―今もなお最前線で活躍する南医師に、『患者と家族、そして在宅医療の心』を聞いた。(インタビュー・山本武道記者)

――病院、外来に次ぐ”第三の医療“としての在宅医療を、どのように受け止めていますか?

南杏子氏

在宅医療に最初に触れたのは祖父の介護でした。

まだ介護保険制度がなかった時代で、近所のお医者様に往診で点滴をしてもらったりするような時代だったのです。

医療の手配はもちろん、介護についても、家族だけでやりくりをしなければならないというのが当時の在宅医療の実情でした。

介護保険制度ができてからは、定期的に訪問診療を受けられ、看護、介護サービスも受けられるようになりました。

のちに自分が医師になり、高齢者医療を専門に定めたときには、すでに介護保険制度が実施されていましたが、もっと早くできていれば、祖父の医療や介護もかなり違ったのだろうなぁと思います。

――在宅医療で学んだことは、どのようなことでしょうか?

何らかの理由で通院できなくなっても、必ずしも入院しなくてもいいというのが在宅医療のいいところですね。患者さんはそれまでの暮らしを諦めずにいられます。

一方で、患者さんを支える家族にとっては、不安も少なくありません。患者を適切にケアできるだろうかと。初めて在宅医療や介護を受ける場合は疑問だらけというのが普通です。

ですから在宅医療では、患者さんはもちろん、家族も含めてケアをすることが大切です。

在宅医療の場では、家族も医療者とのアクセスが増え、細やかな医療アドバイスを得ることができます。痰の吸引のコツや、血圧が上がったときの対応、食べてくれないときの工夫なども教えてもらえるでしょう。

家族が安心してニコニコした顔でケアしてくれれば、患者さんも嬉しいですし、安心できます。

また、医療者にとっても、患者さんの暮らす環境を拝見させていただくのはとても有益です。日差しが強すぎる場所にベッドがある、エアコンを嫌がる、といったことで、熱中症のリスクが分かります。居室内の段差や低すぎる椅子といった骨折リスクも指摘できます。

在宅医療とは、多くのプロ集団によって支えられるものであり、家族もそこから教わりつつ支える一員になることだと学びました。

――『いのちの停車場』の試写を見ましたが、温かい在宅医療の現場が映し出されていました。

映画「いのちの停車場」より

この作品では、人生の終末期を「停車場」と捉えています。これから天国に行く乗り物を待つ停車場で、どのような日常を過ごすのか。できるなら、それぞれの人が満足のいく日々を送ってほしい。

終末期の医療では、長い先を見据えた厳しい食事療法やリハビリは必要ありません。できるだけ患者さんの希望に沿い、ここちよく過ごしていただけるような医療、介護の在り方がいいのではないかと考えています。

ただ、従来の考え方や常識にしばられていると、考え方にズレが生じてしまうことがあります。たとえば、ごはんを食べること一つとっても、そうです。

家族は、患者さんがたくさんご飯を食べることがいいと信じている。しっかりご飯を食べさせなかったら、自分たちのせいで患者さんを早く死なせてしまう、というくらい思いつめる方もいらっしゃいます。

そこで医師は『食べられなくなるのは、生きるのをやめようとしている』ということをていねいに説明していきます。すると、食べさせる責任感でがんじがらめになっていた家族の心が少し解放されるのでしょうね。ホッとした笑顔を見せてくださいます。

一方、患者さんの側も、リラックスした家族の顔を見て気持ちが楽になるようです。表情が柔らかくなり、自然に食欲が増したりすることも珍しくありません。

こうした考え方のズレを合わせていくことによって、良好な関係性が生まれます。医学的なアドバイスによって、患者と家族、医療者とのすれ違いを調整するのも、在宅医の大切な役割かもしれません。

――「私のことを気にかけてくれる人がいる」という感覚は、生きる上で非常に大きいですね

先日、面白いデータを目にしました。「寿命に影響する要因」についての調査なのですが、タバコや太りすぎ、アルコールなどの要因を押しのけて、最も寿命に関係があるのは「人との繋がり」の有無でした。

これは実際、医療現場にいると実感されることです。人との繋がりは、家族や友人だけとは限りません。医療や介護スタッフであってもいいと思います。

たとえば薬剤師が患者さんに「この薬は飲みにくくありませんか」と尋ねれば、患者さんは自分の体が気づかわれていると感じます。スタッフが「タオルをたたんでくださってありがとうございます」と言葉をかければ、患者さんは自分が役に立ったという満足感で笑顔を見せてくれます。

それまで誰からも声をかけられずに孤独の中で過ごしていた患者さんに対して、医療スタッフが頻繁に声をかけることによって、みるみる元気になるケースもあります。食欲が増えたり、中には髪が黒くなる方もいました。

「私のことを気にかけてくれる人がいる」という感覚は、生きる上で非常に大きいことなのかもしれません。

――在宅医療の難しさには、どのようなことが挙げられますか?

医療だけでは患者さんのトータルな生活を支えることはできません。在宅医療は、医療だけでなく介護も生活もセットになって初めて成り立ちます。そのためには人や物、仕組み、経済といったさまざまなことを考える必要があります。

「入浴」一つをとっても、大きな浴槽が必要ですし、そこに運びいれ、患者さんの入浴を安全にお手伝いするマンパワーも求められます。それらの人や物を動かすシステムも必要になります。

24時間いつでもアクセスできる医療サービス、食べやすい食事を提供してくれる生活のサービス、不自由さをケアしてくれる介護サービスといった、各種のサービスが一体となって、患者さんを支えることができます。しかも、そのサービス内容は画一的に決められるものではなく、病状や環境、当事者の思いによっても違ってきます。

きめ細かな対応を考えて行かなければならないことも、難しい点かもしれません。けれど、自宅で過ごせることの満足度は計り知れません。希望する人がすべて在宅医療を受けられるような社会になることを望んでいます。

――痛みを抑えれば、質の高い生活を送ることができるようになります

がん患者さんにとって、疼痛緩和の治療は重要で、代表的な薬物であるモルヒネは、薬物中毒という怖いイメージがありますが、そんなことはありません。

痛みがひどくて食事を摂れない、起き上がれないという方に使うと、買い物や美容院に行ったり、趣味を楽しめたりと、質の高い生活ができるようになるのです。

モルヒネを過度に恐れないこと、疑問に思う点は医師に尋ねること。最後まで自分らしく生きるために、正しい情報を患者さんやそのご家族と共有することが大事だと思います。

南杏子氏プロフィール 日本女子大学家政学部を卒業後、編集プロダクションや出版社に勤務。25歳で結婚、夫の転勤に伴いイギリスへ転居し出産。帰国後、33歳で東海大学医学部に学士編入。卒業後、慶応大学病院老年内科などに勤務した後、スイスへ。在スイス邦人のための医療福祉互助会顧問医などを経て帰国。現在は、都内の病院で内科医として勤務している。2016年に『サイレント・ブレス』で作家デビュー。著書に『ディア・ペイシェント 絆のカルテ』など。