気難しい渡辺先生が週刊誌を読み始めた(17)

2023年1月3日

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年が明けて1981年になった。この年は自分にとっても、業界にとっても大きな節目になった。私にはまず2月の香港行きが待っていた。

東京・お茶の水のうすら寒い事務所で編集部の3人がストーブを囲んでいた。筒型のストーブで、部屋の中が石油臭い。部屋全体を暖めるタイプなので暖かくなるのに時間がかかる。そのストーブの上のヤカンでお湯がシュー、シューという音を立てて湧いている。

「そろそろ良いよ」という編集長の言葉に、ヤカンのお湯が白い容器に注がれた。カップめんの侘しい昼食がはじまった。この時は一人裏切り者がいた。

「身体に悪いぞ」と同僚がいう。いつも食べてるくせに、今日はパンだという。しかも飲み物は豆乳で、「ヘルシーでしょう」と自慢げだ。“目くそ鼻くそを笑う”の類の話だ。

「木村君は良いよ。もうすぐ香港だもの」

寒い日本から暖かい香港に行ける。しかも生まれて初めての海外旅行だ。それが2月に迫っている。すると編集長が切り出した。「木村君、渡辺先生も行くそうだよ」という。「え!本当ですか」と同僚。渡辺先生って誰?この仕事について1年数か月、初めて聞く名前だ。編集長が1年前の新年号を取り出して、紙面を見せてくれた。そこにはややギョロ目の上品な初老の男性の写真が載っていた。記事のタイトルはがんの予防とビタミンEの効果といったものだったような気がする。

「エノケンに似てますね」というと怒られた。なんでもこの先生は東京大学の農学部卒で、三菱レーヨンの常務だった人だそうで、今はコンサルタントをしているようだ。とにかくインテリでとんでもなく気難しい人だという。縁あって新年号にここ数年原稿をお願いしいるが、依頼に行くだけでも緊張して大変だと編集長はいう。ならば原稿など頼まなければよいものをと思うが、これだけのことを書ける人は他にいないとのことで、結局毎年原稿を頼みに行っているらしい。

「とにかくこの先生のいるところでは週刊誌を読むな」という。週刊誌やテレビは低劣だから読んだり、見たりすることはないそうだ。週刊誌を読んでいる姿を見られたら、もうお付き合いしてもらえないという。なんだか知らないが我々下々のものとは違う人種のようだということだけは理解できた。どうせ香港の参加者は10数人いるのだから、なるべく近づかないようにしようと心に決めた。

出発の前日、家で祝いをしてくれた。海外に行ったことがあるのは我が家では父親だけだった。しかしそれは大東亜戦争でフィリピンと中国に行き、満州で捕虜になってウズベキスタンに抑留されたものだ。友人、知人でも仕事で海外に行く人は珍しかった。ましてや息子が行くなんて考えてもみなかったに違いない。

宴はすき焼きだった。家族4人で鍋を囲みながら、「お前は大したもの」と少し酔った父親に何度も言われ、少々気恥ずかしくなった。

2月2日に成田に集合した。主催者の宮崎社長をはじめ男の人に交じって女性の姿もあった。しばらくすると飛行機に乗り込んだ。すると、私の隣にあのギョロ目の渡辺先生が座っている。これはえらいことになった。香港までの所要時間は約4時間である。この間、左隣には宮崎社長、右隣りには渡辺先生で、間に挟まったサンドイッチの具が私だ。しかもこの具はストレスで潰れそうだ。

飛行機が上がってベルト着用のサインが消えた頃、渡辺先生が週刊誌を取り出した。「あれあれ!」と心の中で思わずつぶやいた。

(ヘルスライフビジネス2014年12月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第18回は1月10日(火)更新予定(毎週火曜日更新)