杉作!ニッポンの夜明けだ!(21)

2023年1月31日

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翌日は香港からマカオへ行った。南シナ海に注ぐ珠江の河口の対岸にあるマカオまでは香港から約60kmで、水中翼船で1時間ほどの船旅だった。黄河や揚子江に次ぐ2200㎞と中国第3の長さを誇る大河だけに、河口がべらぼうに広い。甲板に出て椅子に座っていると風が心地よい。思わずあくびが出る。しばらく海を眺めていると、はるか彼方の水面に赤い糸のような線が走っていることに気付いた。

「あれはなんですかね」と聞いたが、皆首を傾げている。

しばらくして気づいた。線を追ってゆくと走り去る船にたどり着く。海底の黄色い砂を巻き上げて走るので、それが光の具合で遠目には赤い糸のように見えるのだ。何か大きな発見をしたような気になって、宮崎社長に伝えた。しかし「ああ、そうですか」とそっけない。がっかりして、また甲板に出てボーッと海を見ているうちにマカオに着いた。

またアデル・デービスのことも話してくれた。この人は米国の栄養士で医師と共に栄養療法で多くの患者治療に当たって、その臨床を踏まえていくつかの本をまとめている。この時は「レッツ・ゲット・ウエル」という本について話したに違いない。当時米国でロングランのベストセラ-になっていた本だ。以降、渡辺先生から度々アデル・デービスの話を聞くことになった。さらに後年自身が翻訳して「健康への道」として出版している。

マカオは当時、ポルトガル領だった。欧州の植民地支配の名残だが、この総督府の脇を通り過ぎ、バスでお決まりの観光コースを回った。聖ポール天主堂やカジノ、そしてどういう訳かドッグレース場に行った。あいにくドッグレースはやっていなかった。いくら有名でも開催されていないドッグレース場は見ても意味がない。がらんとした観客席の脇で、ガイドがたどたどしい日本語でレースを説明する。どこからともなくお土産売りが現れた。聞き入っていると、「ドロボー!」という叫び声が上がった。びっくりして声の方を見ると、誰かがお土産物売りの手をつかんでいる。その手に皮の財布があった。営業部長の本多さんがあわてて鞄の中を手でかき回して、「あ!それ俺のだ!」と叫んだ。土産物屋は財布を放り出して、一目散に逃げ出した。

不思議なことに、都合よくどこからか警察官ひと人が現れた。しかし泥棒を追いかけるでもなく、ガイドに何か話している。どうも財布の中身を確認しろと言っているようだ。幸いなことにお金は取られていなかった。バスに乗り込むと、途中カジノで遊ぶ人を下して、ホテルに向かった。

夕食の後、ホテルの部屋で渡辺先生の講義になった。今日はロジャー・ウィリアムスの話だった。ウィリアムス博士はビタミンB群の一つ、パントテン酸の発見者として知られ、同じB群の葉酸の命名者でもある。日本で唯一5大栄養素の一つのビタミンB1を発見した鈴木梅太郎博士の名声からすると、どんな大学者なのかは想像できる。この米国生化学学会会長を務めたウィリアムス博士は、健康食品業界には多大な貢献をしたことでも知られている。「生化学的個性」や「生命の鎖」などの言葉を知っている人も多いだろう。

何はともあれ、この当時の私はこれらの人の名前はまるで知らなかったし、話の中身もほとんど理解できなかった。それでウイスキーの量が必然的に多くなる。大分心地よくなった頃だった。

渡邉先生が「君はなぜこの仕事を選んだ」と唐突に言い出した。こんな時に限って私の脳裏に妄想が浮かんだ。前年に亡くなったこともあったのかもしれない。嵐寛寿郎、つまり“アラカン”の鞍馬天狗である。父に連れられて行った世田谷の三軒茶屋の映画館で見た鞍馬天狗は子供ながらにかっこいいと思った。映画の終わりに必ず、遠方を見やりながら幼い杉作の方を抱いて、「日本の夜明けだ!」とい言い放つ。それが頭に浮かんだのだ。

思わず「ニッポンのためです」と口を突いて出た。慌てたが後の祭りだ。すると先生が「君もか」と目を輝かした。

(ヘルスライフビジネス2015年2月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第22回は2月7日(火)更新予定(毎週火曜日更新)