香港が生涯の師や先輩との出会いに(23)

2023年2月14日

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渡辺先生の話は続く。戦後復興の中で化学系の企業の果たした役割は大きい。その一つに農業への貢献がある。なかでも戦後の食糧増産に化学肥料や農薬で果した。三菱レイヨンというと合成繊維や合成樹脂の企業でしられるが、農薬や肥料に関わってもいたようだ。そこでミネラルの情報を世界から集めた。確かに農薬は重金属だからミネラルでもある。そのせいで渡辺先生は有機農法にも驚くほど詳しかった。

「化学系の企業の多くが農薬屋だった」

世の中は戦後から高度成長になり、日本は世界の有数の経済大国に発展を遂げた。そうしたなか、奥さんをがんで亡くした。

日本社会にもがんが急増していた。ようやく復興を遂げ、豊かになったはずの日本は医学でも世界指折りのレベルを誇っていた。国民皆保険になり、誰でも安心して医療を受けられるようになった。ところがそれまで死の病と言われた結核などの感染症が影を潜めたにも関わらず、がん、心臓病、脳血管疾患などの成人病(生活習慣病)が死因に占める割合を増やしていた。

この死亡率の統計を見ると、この年それまで死因のトップだった脳血管疾患を追い抜いて、がんがトップになった。以降も増加する一方だ。

「なかでもがんはなかなか治らない」

それでレイヨンの常務の職を辞して、がんとの闘いを開始した。54歳の時だったそうだ。このときすでに10年が経っていた。この頃にはライフサイエンスコンサルタントという肩書で仕事をしていた。

しかし、それにしても先生がなぜ健康食品と接点を持ったのか不思議だった。まともな学者はほとんど健康食品を無視していた時代だ。ところが渡辺先生の考えはまるで違っていた。世界の医学の大勢は病気の治療から予防に傾いているという。初耳だった。予防と言うと定期健診を奨励して、病気を早期に発見して、早期に治療するということが盛んに言われていた。そして健康づくりには「バランスの良い食生活」が大事だと、医師や、栄養士などは必ず言っていた。しかし、そのバランスの良い食生活とはなんなのかということは少なくとも我々庶民には伝わらなかった。

ところが渡辺先生はがんなどの成人病を予防するためには食生活やビタミン・ミネラルなどの微量栄養素を健康食品の形で摂ることが大事だという。学者や栄養士などの専門家はそのことを知らないようだ。

「日本の栄養学は50年遅れている」という。進んだ米国の栄養学からするとどうもそういうことになるらしい。毎晩、その進んだ栄養学の話をしてくれていたのかということが分かった。

そうしているうちにお酒が無くなった。

「もう寝ねるか」との一言で、ようやく解放された。布団に入ると表が騒がしい。爆竹の音だ。後で知ったが、この日が旧暦の正月だった。

翌朝は香港に移動して展示会を港の近くで開いた。馬さんの準備が良かったせいか、そこそこの成功を収めて日本に帰国した。

人には人生を左右するような大事な出会いがあるが、私にとってはこの香港がそうだったのかも知れない。仕事上掛け替えのない師との出会いがあった。年上の先輩ばかりだが、生涯の仲間との出会いにもなった。渡辺先生と本多さんはすでにこの世にいないが、宮崎社長は今も元気だ。千葉から出てくるとたまに食事する。先日もお会いした。80歳を過ぎて未だにかくしゃくとしている。角田社長は富士見養蜂園の社長で、日本プロポリス協議会の会長を務めている。佐藤社長は今でもポーレン(花粉)の普及を続けている。

さて帰り際に先生が、「日本に帰ったら、一度私のところにいらっしゃい」といった。やや気が重かったが、「ハイ」と返事するしかなかった。私はわずか4日ですでに弟子か鞄持ちのようになっていた。

(ヘルスライフビジネス2015年3月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第24回は2月21日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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