ポーリング博士の「がんとビタミンC」が出版された(24)

2023年2月21日

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夢のような香港の旅から帰ると、取材と広告取りという日常の仕事に引き戻された。この頃、編集部はお茶の水から猿楽町に移った。移ったといっても、そう遠くに行ったわけではない。同じ駿河台にある明治大学の裏側に移動しただけだ。直線距離で400mくらいしか離れていない。しかしわずかでも場所が変わると、周辺の雰囲気はまるで変わるものだ。新たな事務所周辺は浪漫の香りがそこはかとなくするところだった。

近くに錦華小学校というのがあった。なんでも夏目漱石が出た学校だそうだ。当時は本名の金之助を名乗っていたはずだが、府立一中の受験に有利とのことで、市谷あたりから小学生で通って来たらしい。小学校に接するように錦華公園があり、漱石の碑も立っている。さらに公園と道を隔てて、山の上ホテルがある。ほとんど明治大学の一角のようなところだが、駿河台のなかでもさらに小高い丘の頂上にある。

学生の頃よく読んでいた文芸雑誌に「文学界」というのがあった。その目次の脇だったかにこのホテルの広告が出ていた。それだけ多くの物書きに利用されていた。ホテルの部屋に泊まり込んで原稿を書くことを〝缶詰〞というが、多くの作家が〝缶詰〞になって名作を書いた。なかでも川端康成や三島由紀夫らの名が知られている。私の好きな池波正太郎もそんな作家の一人だが、このホテルの天ぷら屋を好んで利用していた。こうして多くの文人に利用されたのは近くに多くの出版社があったからだ。確かに駿河台の坂の下は神保町で日本有数の古本屋街である。と同時に小学館、集英社などの大手から中小まで含め出版社が軒を連ねる出版街でもあった。

新たな事務所のビルはビラペンシルビルといった。随分しゃれた名前だが、狭い敷地にたった〝えんぴつ〞のように細長いビルという意味だ。細長い割にはこのペンシルは高さも5階しかない。1フロアはわずか10坪程度だ。しかし以前の4畳半から比べると、大変な出世である。

場所が変わっても相変わらず昼飯はカップめんだ。3分待ってふたを取ると湯気が立ち上った。
「健康の仕事をしているのに、こんなもの食べているようじゃお仕舞いですョ」とお決まりのボヤキを入れると、「文句あるんだったら社長にいったら」と編集長も冷たい。給料が安いのはお互い様だといわんばかりだ。
ドアが開くと同僚が帰ってきた。
「すごい本が出たぞ」
と興奮している。鞄の中から本を取り出した。「がんとビタミンC」ライナス・ポーリングとE・キャメロンの共著と書いてある。ビタミンC大量投与を提唱した歴史的本だ。
この日、出版を記念して日本での版元の共立出版が訳者の村田晃と記者会見を開いた。同僚はそこから帰ってきたのだ。

(ヘルスライフビジネス2015年4月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第25回は2月28日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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