展示会の視察ツアーで米国に行けるかもしれない(40)

2023年6月6日

バックナンバーはこちら

5月に話は遡る。この弱小新聞社が何を血迷ったのか、米国の健康食品の市場を視察するツアーを主催するという。

「どうだ」と編集長が突然言い出したときには一同驚いた。一同と言っても会社には私と葛西博士、それに経理事務で新たに入った宇賀神和子という女性の4人しかいない。全員米国でビタミンブ-ムが来ていることは知っていた。しかしそこに行くツアーなどそれまで考えてもみなかった。

切っ掛けは創健社の中村隆男社長からの話だという。それまで毎年、創健社が業界関係者を集めて米国の健康食品市場の視察ツアーをやっていた。業界のリーダーだった中村社長にすれば、業界人に米国などの先進国を見て学んでもらいたいという気持ちがあったからだろう。しかし創健社という企業でやるよりも新聞社でやった方が、もっと多くの人が参加しやすいのではと考えたのかもしれない。こちらとしては自信がなかったが、参加企業集めは手伝ってくれるというので、「それならばやってみましょうよ」ということになったそうだ。

すでに書いたが、前の年に編集長がこのツアーに招待されて米国の市場を見てきていた。だから編集部の皆にも見せてやりたいという気持ちもあったようだ。当時、創健社の役員の富田勉さんは山之内製薬を退職してコンサルタントをしていた松繁克道さんと並ぶ論客で、業界に知られていた。この富田さんをコーディネーターにしてツアーを企画することにしたという。

「それで、10名以上集まったら皆を連れて行く」と会議で編集長が宣言した。「え!米国に行ける?!」思ってみなかったことを言われて気が動転した。うまくいけば米国に行けると思うと嬉しくて、嬉しくて、舞い上がりそうで、興奮を抑えることが出来なかった。それを見透かしたように編集長が言った。

「ただし、まず参加者は自分たちで集めること」

しばらくすると募集のパンフレットが出来上がって来た。ツアーのコースはニューヨーク、フィアデルフィア、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコで日程は12日間だった。今からするとえらく長い気がするが、ツアーのメインイベントはニューオリンズでの全米栄養食品協会(NNFA)の展示会のようだった。業界団体が主催の展示会で、ナチュラルフーズやヘルスフ-ズの展示会としては米国で最大だった。ということは世界で最も大きい展示会になる。

 以来、「私は対象外だから」と栃木訛りでいじける宇賀神さんをよそに、私と葛西博士の間ではしばしばツアーの話に熱中した。展示会もさることながら、私にとっての米国は仕事以外の魅力で溢れていた。ニューヨークは摩天楼の大都会、本場のジャズ、ジョン・レノンの短い人生を終えた場所、巨大なステ-キとハンバーガー、植草甚一が1974年に滞在した地、キャンベルの缶やマリリン・モンローの版画のポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルの活躍の場だった。

「あの子はルイジアナママ やってきたのはニューオリン 髪は金色眼は青く 本物だよデキシークイン」と歌うと同世代の葛西博士も知っていた。飯田久彦の流行歌で初めて知ったニューオリンズは、ルイ・アームストロングの誕生した場所でもあった。こんな歌もあった。「There is a house in New Orleans They call Rising Sun」イギリスのロックバンドのアニマルズの「朝日の当たる家」だ。サンフランシスコと言えばオーソン・ウエルズの映画「チャイナタウン」であり、「I left my heart in San Francisco」とト二―・ベネットが情感たっぷりに歌い上げる憧れの地だ。

「木村君は“ミーハー”だなァ」と葛西博士に言われた。“ミーハー”は今では死後だろうから解説すると、流行に飛びつく軽率な奴といった程度の意味だ。居直るわけではないが、私は確かに“ミーハー”には違いない。そもそもそうした類の者でなければ新聞屋などになろうとは思わない。

(ヘルスライフビジネス2015年12月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第41回は6月13日(火)更新予定(毎週火曜日更新)