とにかく薬務は取り締まりに出てくるぞ(143)

2025年5月27日

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伊林さんが怒るのも無理はない。寺松論文では次のようなことが書いてあったからだ。

「薬務局はおそらく規制を緩和し、食品の分野に入れられるものが激増するのではないかと食品衛生サイドでは予測している。わが環境衛生局としてもどのように規制すべきかなど法の手直しも含め、適切な対応策を早急に進めていく必要があると考えている」。

これを読めば、薬事法の規制が緩み、所管は食品の法律を担当する食品部局に移ると思うのは当たり前で、その期待が高まっていた。ところが薬務局の昭和58年の46通知の見直しはほとんど「ゼロ回答に近い代物」で、その上、今回の経済企画庁の調査発表である。騙されたと思っても仕方ない。

ところが、この寺松論文で健康食品は環境衛生局が引き受けるというのは本当だったということが、しばらくして分かることになる。

しかし、寺松論文の前提になった動きが水面下で起きていたことは、ほとんど知られていなかった。

昭和53年(1978年)に厚生省の食品衛生課は健康食品を「医薬品類似形態食品」の名称で実態調査を行った。このことは寺松論文にさりげなく触れられている。514の製造施設と864品目を調べている。

後年、当時、食品衛生課にいた専門官が机の引き出しから出して、見せてくれたこがある。その話によると、それまで健康食品の調査を他の行政機関などでやっていたが、厚生省の食品部局ではやったことなかった。それで全国の保健所を使ってやってみようということになったのだそうだ。

調査は2年間やった。なにをやったかというと、集めた製品の成分分析をした。安全性に問題があるのではないかということが調査の目的でもあった。

ところが、一般の加工食品に比べて健康食品ははるかに衛生的で安全だった。微生物も非常に低く、有害金属や農薬もほとんど検出されなかったそうだ。これでそれまでの認識が変わった。安全で健康に役立ちそうなら、成人病(生活習慣病)の予防対策に使えるのではないかということになった。

しかし、この時期にこの食品部局の認識が一般に知られることはなかった。そして寺松論文として氷山の一角が頭を出したのだ。そのことに気づくのはずっと後のことだった。

「とにかく薬務は取り締まりに出てきそうだ」と編集長。その方面の動きに気をつけろということになった。

その日の帰りに吉祥寺で友人に会った。勤め先が御茶ノ水の予備校だったこともあり、中央線で通える便利さもあって、学生の頃からの三鷹の下連雀の高級住宅の家の2階に間借りして住んでいた。それでお酒を飲むのはたいがい新宿か、吉祥寺だった。吉祥寺だとたいがい彼の部屋に泊まっていた。

この日も行きつけの焼き鳥が売り物の伊勢屋に入った。どうせ井之頭公園をすり抜けて、下連雀に行くんだから、飲むならこの通り沿いにあるこの店が打って付けだった。

店に入ると、「どうなの仕事は…」といつものように会話が始まった。薬事法がどうのこうのと言っても、どうせ彼にはたいして興味はないだろうから、「まあ厳しいよ」と言うと、こちらの気持ちを察したのか、「大変だね」と言って話を変えた。

「ところで三浦事件はどう思う」という。そういわれても三浦事件?である。

「エエ!知らないの!」と驚く。このところ仕事の事ばかりで、世間のことに疎くなっていた。なんでも『疑惑の銃弾』というタイトルで、今年の1月から週刊文春で連載が始まり、話題となっていたようだ。

(ヘルスライフビジネス2020年3月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第144回は6月3日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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