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ポーリング博士を日本に呼ぶ(153)
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編集長がポーリング博士を日本に呼ぶと言い出した。もう社長の園田さんの了解は得ているという。
「冗談でしょう。いくら何でも、そんなこと出来る訳ないでしょう」と私が言うと、編集部の誰もが頷いた。当然である。なんと言ったってこの博士はノーベル賞を2度とっている21世紀で最も優れた化学者の一人と言われる人だ。科学の世界ではアインシュタインと比べられるような大学者だそうだ。それがどこの馬の骨か分からない業界紙の招きに乗るわけがない。しかも年齢が80歳近いはずだ。日本くんだりまで来るわけがない。常識的にはそう思うのが当たり前である。
「だけど木村君」と、編集長は言う。博士は市民団体の招きで何度か日本に来ていると言う。もちろんもう一つのライフワークである平和運動のためらしい。平和運動と健康運動なら似たようなものだと言うのだ。だから我々がお願いしたって、来るかもしれないというのだ。市民団体の招待で来るような人ならば、あるいは来てくれないこともないかもしれないとも思う。
「でも、本当に呼べたら夢のようだ」と葛西博士。科学者の端くれとして、もうその気になっている。
編集長に何か伝手でもあるのかと聞くと答えは簡単だ。「ない」の一言だ。ただし、日本人でポーリング博士を知っていると思われる人が2人いると言う。一人は佐賀大学農学部の村田晃教授で、ポーリング博士の『ビタミンCとかぜ、インフルエンザ』(1977年)、『がんとビタミンC』(1979年)の2つの著書の翻訳者である。さらに村田教授と一緒にがん患者へビタミンC投与の臨床研究も行っている福岡鵜飼病院の森重福美医師だ。
「この人のどちらかの紹介ならば、あり得ない話ではない」と編集長は確信しているようだ。「しかし…」と言ってため息をついた。この2人にも伝手がないのである。
すると、葛西博士が村田教授に会ったことがあると言い出した。会ったのはポーリング博士の本を出版したときの記者会見だという。名刺交換もしたという。皆、色めき立った。しかし話をしたのかというと、名刺はもらったが話はしていないと言う。よく聞くと、会ったというより、見かけた、または前を通り過ぎたと言う方が正しい表現のようだ。それでも名刺を持っているのならば、大学へ電話して頼めるかというと、そんな図々しい話は出来ないと言う。もししたとしても、相手はこちらをまったく知らない。断られるのがおちだと悲観的だ。だめかと、また沈黙が流れた。
しかし編集長は気を取り直して、それでは森重さんはどうかと聞く。葛西博士は会ったこともないという。編集長も知らない。私も会った覚えはなかった。しかしどこかで聞いた名前のようだとは思った。森重、森重とつぶやいているうちに、「ㇵッ」と気付いた。今村光一である。
今村光一と言えばマクガバンレポートを抄訳した『いまの食生活で早死にする』(経済界)のベストセラーで知られる翻訳家でジャーナリストだが、この人とは長寿村棡原に一緒に行って以来、かなり親しくなっていた。この頃、今村光一は生活習慣病の中でも特にがんに関心を持ち始めていた。
なぜがんかと聞いたら、「治らないから面白い」と言う。そこで治す方法を見つけるのだと言う。常識人である私は見つかるわけはないと思う。しかし今村光一は自分のことを天才だと思い込んでいる節がある。私から見ると、天才かどうかは分からないが、奇人変人には見える。そしてこの年の翌年にはケダール・N.プラサドの本を見つけ出し、『がんはビタミンで治る』(経済界)という本を出している。
恐らくがんつながりで森重さんと知り合ったのだろう。
「今村さんが知っていると思う」と言うと、それならば今村さんに紹介してもらえと言う。当然、お願するのは私である。この頃には今村光一は房総半島の先端にある館山から大田区の洗足池にある実家に住処を移していた。
(ヘルスライフビジネス2020年8月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)