まるでタコ部屋ですね(171)

2025年12月9日

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宮崎県の石波海岸の沖合にある幸島に野生の猿がいた。あるとき、この猿の中の一匹がイモを洗って食べるのを地元の小学校の先生が見つけた。その一匹のサルのイモ洗いは次第に他の猿に広がっていった。それを京都大学の河合雅雄教授が国際的な学術誌に発表した。

そして尾ひれがついた。

イモ洗いのサルが100匹を超えたとき、遠く離れた場所のサルもイモを洗って食べるようになったと言う。米国思想家ケン・キース・ジュニアの著作『百匹目のサル』で紹介されたこの話は、もちろん作り話である。しかし私はこの話をつい最近まで信じていた。というのもこの話のようなことは往々にして起きるからだ。

日本の厚生省が機能性食品の制度化に動き始めた頃、米国でも食品の有効性の表示の検討を始めていた。しかしこの頃、米国ははるかに遠い地球の彼方だったから仕方ないとしても、日本の役所で起こりつつあった変化に気付いた業界関係者は皆無だったと言ってよい。

とこの辺りまでは前回書いた。ところが最近、1984年の記述が長すぎるという読者からの指摘があった。しかしこの年は大事な事件が多い年だったからと言い訳して、納得してもらった。しかし考えてみると確かに長いことは長い。と言うわけで話を先に進めることにする。

季節も代わって朝晩肌寒さを感じるようになった。今年も暮れである。

「日本酒がうまい季節ですね」と岩澤君が言う。「日本酒と言うと鍋ですね」と吉村君が続ける。確かに忘年会の季節も近い。吉村君は新聞記者としてはまだ駆け出しだが飲む方は一人前だ。すると「何をのんきなことを言っているんだ」と編集長の雷が落ちた。

確かに繁忙期に入っていた。毎年11月末から新年号に合わせた年末のスケジュールに入る。我々も人並みに暮れから正月過ぎまで休みをとる。つまり1月1日の新年号は12月の28日には刷って、年内には発送屋に回さなければならない。でないと仕事始めに新聞が間に合わないことになる。この当時は16ページの新聞を月に3回、つまり1日、10日、20日の10日間隔で出していた。ところが新年号はページを増やす。いつもの倍の32ページを出す。理由は簡単だ。社長曰く、「皆のボーナスを出すため」だそうだ。我々のボーナスのために広告を出す企業もたまったものだはないが、その記事を読む読者にも申し訳ない限りだ。

「だから普段では出来ない記事を入れることが出来る良い機会だ」と編集長は前向きだ。すると葛西博士は「だから企画が大事だ」と言い出した。  

なんだか毎年お決まりのセリフである。だからと言って博士から良い企画が出たためしはない。他も似たり寄ったりで、結局昨年と大差のない「新年号企画書」が出来上がることになる。そして慌ただしく取材や広告のお願いに業界を飛び回ることになる。

ところが忙しいのはそれだけではない。仕事は他にもある。展示会もある。この時期は翌年3月の開催まで4か月を切るっている。毎年秋からこの出展企業を集めはじめるのだが、毎年この時期になっても3分の2程度しか集まっていない。来年は晴海の新館の2階だから、300コマのスペースを埋めねばならい。つまり年内に100コマ分をどれだけ埋められるか。

こうして年末は連日、取材、広告、展示会で明け暮れる。夕方事務所に帰ると1時間の会議が必ずある。我々の間では“詰め”と言ったが、どこを回ってどれだけ出展の候補が増えたかを、皆の前でそれぞれが報告する。ベテランも新人も同じで、これが結構つらい。公開処刑と言った奴もいた。まるで営業会社のようだ。

そしてようやく夕食である。残業になるので夕食代は会社から支給される。それはよいのだが、毎日中華定食である。なにも好き好んで中華を食べるわけではない。早い話が、出前してくれる店が神田司町のこの界隈にはその店しかないだけである。しかも中華と言っても高級な中華料理を想像してもらっては困る。ただのラーメン屋である。メニューは麻婆豆腐、麻婆ナス、ホイコーロー、チンジャオロースーの定食で、これを毎日取っ替え引っ替えして食べる。まるで陳健民に呪われているようだ。原稿書きはそれが終わってからで、帰りはほとんど11時頃になる。

「まるでタコ胡部屋ですね」とは新人の吉村君の談だ。

(ヘルスライフビジネス2021年5月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第172回は12月16日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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