業界に春が来る気がした(173)

2025年12月23日

年が明けて1985年になった。新年早々に昨年から付き合っていた彼女を連れて実家に行った。場所は東京郊外の東村山の久米川団地だ。

母には事前に彼女とは結婚しようと思っていることを伝えていた。新年とはいえ、着物姿で来るとは思っていなかった。両親に会うためなので、そうしたのかもしれない。それで、いつもと違って、表情がこわばっている。しかし緊張しているのはこちらも同じだ。

玄関で迎えてくれた母は満面の笑みを浮かべていた。この人は元来、緊張しない質だ。しかもよほど嬉しいのだろう、ご機嫌だった。しかし結婚するかもしれない相手を連れてきたのは初めてではない。ただ今回ははっきり「結婚する」と言っている。年も30歳を過ぎた。友達の大半も結婚している。それで今度こそはと思っているふうだ。

父は和服を着て、机の前に座っていた。久しぶりに会った父は、ずいぶん痩せて老け込んだように見えた。料理が出て酒が出た。しかし父はその前から飲んでいたようだ。

「しょうがねえなあ、朝から…」と言うとニコッとした。「三が日だからいいじゃない。」と母が言う。父も機嫌がよかった。

「それでいつにするんだ」と言う。いきなり結婚式のことを言い出した。

まだ具体的にしてはいなかったが、「春かなあ」と言った。12月に互いのお金で半々を出し合って、結婚式の費用を賄う相談はしていた。それで私はボーナスをその資金に充てることにしていた。それが早くしないと目減りする恐れがあった。すでに一部は飲み代に消えていた。

「ずいぶん性急だなあ」と、事情を知らない父は言う。彼女のいる前で懐事情を言うこともできない。それで結婚の話から話題を変えた。それで後はとりとめない話になったが、父は話の最中に盛んに咳き込んだ。聞くと、年末に引いた風邪がなかなか治らないということだった。

「医者に診てもらった方がいいよ」と言うと、「ああ」と気のない返事だ。

「私も言っているんですが、平気だの一点張りなんですよ」と母が言う。父らしいと思った。親父は昔から医者嫌いだった。意外に気の小さな人で、何を言われるかわからないので怖いのかもしれない。それだけ健康に悪いことを続けてきた。

1月の末になっても父の風邪は治らなかった。さしもの父も母の説得に応じて病院に行った。そしてそのまま入院になった。

「検査入院だから別に心配いらないけど…」

母から電話があった。久米川病院だと言う。日曜日に病院に行くと、「おお、来たか」とやつれているが、いつも通りの父である。トイレにも自分の足で歩いて行った。母が付き添ってはいたが、別段手を貸すわけでもない。足取りはしっかりしていた。しばらくいたが、早々に引き上げることにした。そしてそれが父に会う最後になった。

「お父さんが今朝がた亡くなった」

翌日だった。会議室で編集の打ち合わせ中に事務の近藤さんがお家から電話ですと言う。出ると母だった。「タダアキ…」と私の名前を呼んで絶句した。その瞬間にすべてを理解した。

葬儀は瞬く間に終わった。どこから聞いたのか知らないが、日本製粉の上川部長以下3名の方が告別式に来てくれた。

この間、健康食品の財団設立の動きも進んでいた。1月25日に「第一回健康食品公益法人化設立準備委員会」が第5合同庁舎の会議室で持たれた。公的な会合としてはこれが最初だった。2月には東京ステーションホテルで大手食品企業の健康食品の集まりが「健康食品懇話会」として設立総会が行われた。しかし両方の会合はマスコミには知らされないまま秘密裏に行われた。理由はわからない。しかし内容は参加者から我々に筒抜けだった。

「いよいよですね」と編集長に言うと、「そうだな」といささか興奮した様子だ。長く続いた冬の時代が終わって、業界に春が訪れるような気がした。

(ヘルスライフビジネス2021年6月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第174回は12月30日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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