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細谷さんは健康食品否定派だった(175)
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コーボンと言う会社が神楽坂にあった。社長は多田和生さんと言う。みかんなどを原料にした天然酵母を使った発酵食品を製造・販売していた。この父親は多田政一と言った。東京帝国大学出の医学者で、戦後に東洋医学と西洋医学を結び付けた「綜統医学」なるもの提唱して健康運動を始めた。それから生まれたのがこの発酵飲料「コーボン」だった。次男の多田さんがこの商売に手を染めたのは1963年(昭和38年)だから健康食品の業界の草創期である。
協会団体の役員も歴任していたが、この頃には全日本健康自然食品協会の常任理事で渉外委員会の委員長になっていた。そんな関係で団体の会合でよく会っていた。特集のたびに会社にお邪魔して、たまには広告ももらった。そのうち「多田さんは細谷憲政のカバン持ちだ」と言うことを耳にするようになった。細谷さんのことはよくは知らなかったので、この一件で多田さんの神楽坂の会社を訪ねることにした。
1階の事務所の椅子に座ると、奥から多田さんが現れた。
「細谷さんのこと聞きたいんだって」と言う。「カバン持ちだと聞いたから」と言うと、「誰がそんな悪口言ってんだ」と薄ら笑いを浮かべながら、椅子に座った。
「あれは財団を作る前だった」
1979年(昭和54年)に業界が一本化されて業界団体の全日本健康自然食品協会が設立されたが、その年の11月に財団法人日本健康食品研究協会が認可された。これは当時厚生大臣を務めていた橋本龍太郎によるところが大きい。そしてその後の公益財団日本健康・栄養食品協会につながって行く。しかしこの時点ではこの財団はあくまでも健康食品の研究が目的だった。
この常任理事にはその後、健康食品や機能性食品などと関係を持って行く学者が顔を揃えている。東邦大学医学部教授の阿部達夫、女子栄養大学教授の秋山房雄、国立栄養研究所食品部長の岩尾裕之などと共に東京大学医学部教授の細谷憲政が名前もある。
「私も常任理事に入っているが、細谷先生とはもっと前からのお付き合いなんだ」と多田さんは言う。当時、業界は役所の中に健康食品を担当する部署を望んでいた。そうしたなか栄養課にアドバイスしてくれる課長がいた。後に局長になる玉木武さんだった。相談すると先生たちにご意見を伺いなさいと言う。その人たちに理解してもらえば道は開けるということだった。推薦されたのが当時の栄養学や栄養行政の錚々たる先生たちだった。その中に細谷先生がいた。
この先生たちはと非公式ながら約2年勉強会をやった。それが財団設立につながっていった。
「だから、細谷先生に限らず、それらの先生は健康食品や自然食品には否定的な人ばかりだった」と多田さんは言う。今は以前とはだいぶ違うが、財団の常任理になったからっと言って、そうおいそれと考え方が変わるわけはないと言うのだ。
「しかし曲がりにも財団の禄を食んだ人間が、健康食品をつぶしにかかるとはけしからん」と言うと、多田さん自身その冊子を見てないので何とも言えないので、ちょっと見せてくれと言う。
「そんなの同じ財団にいるんだから、細谷さんからもらってくれ」と言い捨てて、多田さんの会社を後にした。それにしても、かれこれ10年近く細谷さんと会っているのに、健康食品について理解を得られていないとしたら、何のためのカバン持ちなんだろうかと腹が立ってきた。
編集会議の席で多田さんから聞いたことを話すと、「やはりなァ」と葛西博士は言う。彼がどこかで聞いてきた話と一致するのだ。つまり細谷さんは今も健康食品を否定派だということだ。ところが、ある学会で何人かの当事者の先生にあったので聞いてみると必ずしも健康食品否定派ばかりではないと言う。
「例えば稲垣、美濃、糸川、八木、安田などの先生は冊子に資料を提供しているが、自分たちの考えと違ったかたちで作られた」と怒っていると言う。書いてもいいかと言ったら、良いと言う。それでそれぞれの冊子に関わった学者を取材して記事にして反論しようと言うことになった。
「面白くなってきたなァ」と編集部の誰もがそう思った。
(ヘルスライフビジネス2021年7月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)