ビタミンCの稲垣さんは大量療法の本を訳していた(176)

2026年1月13日

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健康情報シリーズにつて資料を提供した専門家の見解と出来上がった冊子の内容とはかなりの違いがあった。そのことは葛西博士がその先生たちから直接聞いた話だから間違いない。その違いを連載で明らかにして、厚生省のサプリメントへの誤った考え方を正そうという企画が出来上がった。

ビタミン類の取材は葛西博士、クロレラは編集長、ローヤルゼリーは木村が担当することになった。ビタミン以外の健康食品はまだ他にもあったが、そう長く連載するわけにも行かない。この辺りで端折ることになった。

連載はビタミンC、E、B1、B2、クロレラ、ローヤルゼリーの6回で、新聞が月3回の発行だから、これだけで2か月かかる。ビタミンCはお茶の水女子大学家政学部の稲垣長典教授、ビタミンEは大阪医科大学医学部の美濃眞教授、ビタミンB1は京都大学医学部の糸川嘉則教授、ビタミンB2 は名古屋大学医学部の八木国夫教授、ローヤルゼリーは国立栄養研究所の山口迪夫部長などに決まった。最初はビタミンからと言う。

 「誰から始めるの」と葛西博士に聞くと、連載の第1回目はビタミンCの稲垣さんからだと言う。そして唐突に「木村君、アーウィン・ストーンって知ってるかい」と聞いて来た。

「ポーリング博士の本に出て来る人かな」と言うと、そうだと言う。それなら私も知っている。ライナス・ポーリング博士は本の冒頭でこの博士とのエピソードが紹介していた。

 1966年にポーリング博士はニューヨークで開かれた会合の晩餐会の席でストーン博士に出会った。そしてその席で寿命の話をした。後日彼からから手紙をもらったが、その手紙には「あなたの元気な姿をあと50年間見たいので」として、ストーン博士が30年間研究したアスコルビン酸(ビタミンC)健康法の説明書が同封されていた。

この健康法を実行すると、ポーリング博士は身体の調子が以前に増して良くなった。さらに風邪をひく回数が著しく減り、罹っても症状が軽いことに気付いたと言う。これが切っ掛けになり博士はビタミンCの研究をするようになった。そして1970年にはその成果をまとめた著書『ビタミンCと感冒』、『がんとビタミンC』を発表すことになる。

 このストーン博士のビタミンC大量投与の根拠は驚くべきものだ。というのも人がビタミンCの合成能力を失ったことに由来するというからだ。おおよそ2500万年前の人の祖先である類人猿の化石はアフリカのケニアで見つかっている。この時期に人はビタミンCの合成能力を失った。以来、今に至るまで人は食べ物からビタミンCを摂ってきた。ところが大半の動物は今も合成能力を持っている。それで必要なビタミンCを体内で合成しているが、この量を人の体重に換算すると2000㎎~20,000㎎ということが分かっている。

「つまり人も同じような量を体内で合成していたはずで、その分を摂らないと人はアスコルビン酸の欠乏状態になると言うことらしい」と博士は言う。

しかしそのことと稲垣さんとが結びつかないと言うと、それがそうじゃあないと言う。

アーウィン・ストーンの本が1974年に日本でも出ている。『ビタミンC健康法』と言う本だが、これを訳したのが稲垣長典さんだと言うのだ。葛西博士はすでにその本を読んでいるらしい。

「それじゃあ、稲垣さんはポーリング博士のことも知っているんだね」と言うと、大きくうなずき、「知っているなんて言うもんじゃない」と言って、ビタミンC委員会の話を始めた。

この委員会は日本のビタミンCの研究者の集まりで、稲垣さんは現在委員長を勤めていると言う。この委員会で1980年(昭和55年)ポーリング博士を招聘してビタミンCの大量投与について議論していることが分かった。この席には当然、稲垣さんもいた。

「それはすごい!」と言うと、葛西博士は嬉しそうな顔をした。

(ヘルスライフビジネス2021年8月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第177回は1月20日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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