【連載】10兆円産業化を目指すDgSの今昔物語④

2021年7月15日

新業態づくりに奔走した3人の経営者③セイジョー創業者の齊藤正巳氏

ドラッグストアの黎明期、新業態の創造に果敢に挑み、今日の巨大産業の礎を築いてきた経営者たちを取り上げる本連載。ハックの石田健二氏、千葉薬品の齋藤茂昭氏に続き、セイジョー創業者の齊藤正巳氏を紹介する。(流通ジャーナリスト・山本武道)

たまたま所用で、東京・世田谷成城の商店街を歩いていた一人の薬剤師が、空きテナントになっていた8坪ほどの元化粧品店を見つけた。薬剤師はその店に磁石のごとく引き寄せられ、そこを自身の薬局とすることを決めた。

1951年、彼の小さな薬局が、今日では一部上場企業として医薬品小売業界に君臨している。この一部上場企業は、東京を中心にドミナント戦略を展開するセイジョー(現・ココカラファイン)だ。創業者は、ツキを自分の人生に最大限に活かしてきた齊藤正巳氏。高級住宅街を対象に、薬や日用品などの宅配をはじめる傍ら、オートバイ部隊を編成して、配置販売方式の“ミツバチ商法”ビジネスで大成功。次々とユニークなアイデアで店舗展開していった。

配置販売方式の基礎は、実は富山の生家が配置販売法を手がけていたからで、「薬専時代から携わってきた配置薬の現金売りの経験が役立ちました」(齊藤正巳氏)富山薬学専門学校に学び薬剤師となった齊藤氏は、勤務先の倒産に遭い、さらに病にかかり次の仕事も退職せざるを得なくなった折に、前述の店舗を見つけたのだという。

「小さな薬局を開店し考え付いたのが、医薬品を届けながら相談に乗ることでした。今でこそ成城は一流の商店街となっていますが、当時は人通りが少ない寂しい地でした。ある日、店頭に立っていると、近くに住む豪邸のお手伝いさんが、かぜ薬を買いにきました。自分が飲むのではなく、働いている先の豪邸の主人が飲むためのものでした。ならば、豪邸に医薬品を配達しながらアドバイスすれば必ず当店のファンになっていただけるはずと考えたのです」

成城に店を出したのはたまたまだったかもしれないが、その地域に即したビジネスとして、風邪薬を届けながら養生法をアドバイスするアイデアを実践した齊藤式販売法が当たりに当たったのは齊藤氏の知見によるものだ。

筆者が、“ツキを最大限に活かせた人”と思うゆえんだ。接客するための人財教育、ロイヤルカスタマー(優良顧客)を増やすためのDM戦略、最新情報に即対応する商品導入への取り組みなど、齊藤氏のアイデアと実行力は、セイジョーを急成長企業として押し上げていった。「ドラッグストアの専門性を高め、調剤を核にして、薬剤師職能を発揮するときにきた」と齊藤氏は語っていた。