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ベテラン記者の山本さんが来てくれた(182)
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この年の初めから山本さんが我々と一緒に仕事をすることになった。この連載の始めから読んでいる方は記憶に残っている人も多いと思うが、読んでいない方もあるだろうからあえて説明しておく。山本さんのフルネームは山本武道で、私にとって新聞記者の先輩である。私がこの仕事に就いた頃にはすでに薬系のベテラン記者だった。薬系と言っても医薬品のメーカーから薬局などの店舗まであるが、そのなかでも薬局やドラッグストアなどの店舗の人たちが読む専門紙の記者だった。新卒で入社したようなので、おそらく入社から16年経っている。年齢もこの年には40歳になっていた。
伝統のある業界だけに薬系分野には薬業時報社(じほう社)、薬事日報社などの日刊紙からドラッグマガジン社、薬局新聞社などの週刊紙まで、様々な専門紙があった。山本さんはそのなかの「薬局新聞」にいた。
学生時代はハワイアンのバンドをやっていて、アマチュアながらライブハウスで演奏していたそうだ。追っかけのファンもいたそうだから、なかなかなもんだ。それがなぜ新聞記者になったのかと言うと、広告代理店にいた先輩に紹介されたからだという。新聞社はバンドよりも固い仕事だと思ったのだろう。実は水商売ほどではないが、堅い商売でもない。そして大阪支社に赴任していたときに健康食品のローヤルゼリーを知った。私が初めて会った80年代の初頭には編集次長になっていた。
その頃、こちらは3人しかいない零細新聞社だった。挨拶するにも気が引けた。格が違うのだ。しかし次第に健康食品ブームに乗って、晴海で展示会も開催するなどして業績を伸ばし、社員も10名を超えるようになった。外見的に曲がりなりにも新聞社らしくしていたが、内情はそうではなかった。素人が見よう見まねで作った会社だった。これが我々の引け目になっていた。展示会が拡大しているので、ますます人も増やしていかなければならない。今のうちに何とかしなければ、会社がめちゃくちゃになりそうだと思っていた。
細かいことだが、編集も我々は誰からも教わった記憶はない。割付の仕方は印刷所の出張校正室で進行係の市川さんから教わった。印刷の工程はまず新聞の編集部から原稿と割付がセットで印刷所に渡されることから始まる。しかし私たちはいつも時間がないので、割付はあと回しにする。印刷所では原稿を文選に回して文字を長方形の箱に拾う。箱の中には縦は1行15文字(現在は文字も大きくなって11文字)で、行数は原稿の長さでまちまちだった。文字を拾い終わったら、そこにローラーでインクを乗せて、ざら紙に刷る。横長の紙に刷られるので、この試し刷りを棒ゲラと言った。
校正は誤字や間違った文章を見つけ、赤ボールペンでこれに直しを書き込む。これが指摘の通りに直され、大組という部署に回ってレイアウトに沿って新聞の形に組み上げられる。ところが我々のレイアウトはいい加減で、組んだ後にデザインを変更することが多い。
「組み換えはお金がいるよ」と印刷屋から何度も言われた。レイアウトを変えることは“組み換え”と言う。やり直しだからお金がかかるのは当然だが、そんなことも知らなかった。
さらに校正の段階で大組のゲラが直しで赤字で真っ赤になる。すると“問題の校正”として印刷所の掲示板に何度も張り出された。
「まず原稿整理が出来ていない」と印刷屋の市川さんに言われた。原稿整理?聞いたことがない言葉だとその時は思った。原稿の段階で誤字や文章の間違いを正すことだ。これが出来てないからゲラが真っ赤っかになる。言われてみればその通りだが、締め切りぎりぎりに入稿するので、原稿を見直す時間などない。ましてやレイアウトがいい加減になるのは当たり前である。
さらに校正は時間が空いた者が行ってする。だから後から行った者が気に入らないとまた文字や文章を直す。だから赤字が新たに入り、ゲラを繰り返し校正することになる。普通は初稿、再校、責了の3回までだが、さらにもう1、2回校正の回数が増える。まあこうした塩梅だから合理的な仕事にならない。市川さんの印刷所に厄介になる前にも同じだった。駅が2つ先の文京区千駄木の印刷所で刷っていたが、度々印刷を後回しにされた。厄介者はいじわるをされる。結局、頭にきて契約を解除したが、本当は追い出されたのはこちらの方かもしれない。
(ヘルスライフビジネス2021年11月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)