マクガバンレポートの理想は棡原の食事だ(39)

2023年5月30日

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「ところが、このべジタリンに近い村が危機に瀕している」と今村光一はいう。すると古守先生が言い出した。長寿村だったのは昔の話で、最近は100才を超える人はほとんどいなくなった。加えて、お年寄りを面倒みる立場の若い世代に生活習慣病が増えてきて、先に亡くなることが問題になってきているという。

この絶海の孤島のような村に都会からの舗装道路が出来たのは昭和29年の頃だという。以降、この村に都会の暮らしが浸透し始める。村の中心に食料品を扱う店が出来て、都会の食べ物が一気に村に広がった。さらに都会に働きに出るようになり、都会の食べ物を食べる機会が増えた。

「やはり美味しいんでしょうね。都会の食べ物は…」

しばらくすると、すっかり長寿を支えてきた伝統的な食事は影を潜めるようになった。そしてそれが次第に長寿者を減らし、子供や孫の世代に都会と同じように生活習慣病の蔓延を招くことになった。

「この辺りでは“逆さ仏”というんです」と古守先生。これは今の日本社会の縮図だという。100年かけて日本中で起こったことがわずかの間にこの村では起きた。

「ところで光岡先生が来ているんです」

遅い昼食を済ませると、古守先生が言った。光岡先生とはその頃、理化学研究所にいた光岡知足博士のことだった。すでに腸内細菌の研究では知られていた。

この光岡博士が2年前からこの地に入って、高齢者の腸内細菌を調べていた。この研究はその後まとめられた。これによると、棡原の高齢者と都会の高齢者、さらに理化学研究所の若い研究者の腸内細菌叢を比較したところ、棡原の高齢者は善玉菌のビフィズス菌が多い一方、悪玉菌のウェルシュ菌が少なく、若い研究者に近い状態だったが、都会の高齢者は逆だった。

つまり棡原の高齢者のお腹の中の環境は都会の高齢者よりも、若々しく優れていることが分かった。この理由として挙げられたのが棡原の“穀菜食”の食事で、腸内細菌に良い働きをする食物繊維だけでも、日本人の平均よりだいぶ多い1日29g摂っていることが分かっている。

この場所よりも少し離れた集落に光岡先生はいるということなので、挨拶に行くことになった。学校か公民館のようなところに着くと、窓が開け離れて、なかでお年寄りと話をしている光岡先生がいた。

今村光一は光岡先生と長々と何か話していたが、しばらくすると今度は「記者の木村さんです」と紹介され、名刺を頂いた。白衣を着ていたので古守先生と同じお医者さんだと思っていたが、農学博士だった。後に東京大学農学部の教授になり、腸内細菌の研究に大きな足跡を残した大学者だということをこの時は知る由もなかった。

検診はまだ続いていたが、お年寄りの身体ばかりを見ていても仕方がない。少し飽きてきたのでお暇をすることになった。帰りはバスになった。山の中腹の見晴らしの良いバス停で待っていると心地よい風が吹いている。はるか彼方に山並みが続いている。

眺めながら「マクガバンレポートのいう理想の食事とはこの棡原の食事なんだ」と今村光一がいう。マクガバンレポート以降、日本食が欧米で人気を呼ぶようになった。寿司、天ぷら、すき焼き、最近ではお弁当という言葉まで使われるようになっているそうだ。しかしマクガバンレポートではそんな食事を理想の日本の食事だとはしていない。理想の日本食とは元禄以前の日本食だとしている。

「その元禄以前の日本食に一番近い食習慣がこの長寿村につい最近まで残っていたんだ」それで今村光一がこの村に来たわけがようやく分かった。

遠くからオルゴールのメロディが聞こえてきた。誰ともなくそれに合わせて歌い出した。

「頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして 雷様を下にひく 富士は日本一の山」

次第にオルゴールの音が近くなって、バスが姿を現した。「さっ、帰るぞ」今村光一がそういうと、皆ベンチから立ち上がった。

(ヘルスライフビジネス2015年11月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第40回は6月6日(火)更新予定(毎週火曜日更新)