いよいよ憧れの米国に行ける!(41)
バックナンバーはこちら
“ミーハー”の木村は“ミーハー”故に、俄然、米国視察ツアーの客集めに張り切り始めた。やはりお金のあるのは大手企業だろうと思い、日清製粉のサプリ「リブロン」担当の今村さんのところに話をしに行った。
この頃、大手企業と言えば製粉、精油会社が小麦胚芽やビタミンEを出していた。日清製粉、日本製粉、豊年製油と言ったところで、さらにスポーツニュートリションでは明治製菓がいち早く「ザバス」を出していた。
日清製粉の今村さんは学習院大学出のお坊ちゃんだという噂だったが、それほど育ちが良いようには見えなかった。個人的に言うと、私の母親の弟に似ていて、何となく親しみを感じていた。一族の中ではそこそこ出世した人で、苦労人のせいか、口やかましい。今村さんはとくに服装についてはうるさかった。「ワイシャツのボタンが外れている」、「ネクタイをちゃんと締めろ」、「髪の毛くらい櫛で梳かせ」。行くたびに言われる。よれよれのスーツを着た私がよほど気になったのだろうか、あるときぽつりと言った。「新聞記者は業界の顔だ」。だからちゃんとしてなければだめだということらしい。この時は大きなお世話だと思ったが、今では感謝している。
このお坊ちゃんの今村さんが突然、それまで所属していた人事部からいきなり「リブロン」を担当になった。「その時は会社を辞めろということかと思ったよ」と私に話したことがある。それだけサプリメントの仕事は世間では“怪しげな仕事”というイメージで見られていた。当然、大手企業の中でも特にマイナーな部署だったに違いない。しかし、日清製粉では違っていた。2代目の正田英三郎社長が命名して世に出した経緯があった。
「それにしても変わった製品名ですね」というと、それなりの理由があるという。「リブロン」とは当時、欧州の王室や貴族、ハリウッドの女優さんなどに支持され、世界的に知られていた米国の健康と美容の先生ゲロード・ハウザー博士が提唱した「Look Younger, Live Longer」という言葉からとったという。小麦胚芽をローストして販売し始めたのが最初だそうだが、この頃にはビタミンEを含んだ「小麦胚芽油」の製品を他に先駆けて発売していた。この頃には会長になっていた英三郎氏が作られたものならば、と今村さんは考えを改め、「リブロン」の販売に燃えた。と本人が言うのだから本当だとして、折からのビタミンブ-ムもあって、その頃には売上も徐々に上向いて来た。盆暮れの広告も付き合ってくれるようになった。それでツアーへの参加を頼んでみた。
「アメリカかァ~」とため息交じりに、チラシに目を見た。行きたいのはやまやまだが、今の商売の状態ではまだ難しいという。確かに売れ始めてはいたが、大手企業として満足の行く売り上げには程遠いといったところだったのだろう。
「まあ検討してみるよ」と、期待はずれな返事が返って来た。
それで製粉企業のもう一方の雄である日本製粉にも行ってみた。「小麦胚芽油ハイガッツE」で前年に参入していた。この担当は神田さんで、パンフレットを出してツアーへの参加を頼むと、「日清はどうだ」という。望み薄ということは言わずに、「今検討して頂いています」というと、「じゃあうちも検討しよう」と言ってくれた。しかし日清製粉が行かなければ、日本製粉も行かないということにもなる。
6月の終わりが締切だったが、幸いなことに参加者は定員を上回って、無事集まった。
しかし日清製粉の今村さんはこの時は参加を見送った。ただし中央研究所から児玉さんという若い研究者が参加することになった。
「よかったね」と久しぶりに会った渡辺正雄先生が喜んでくれた。東京・文京区の千駄木の渡辺邸に原稿を頂きにあがると、すでに米国行きの話は伝わっていた。コピー用紙に万年筆で手書きしたものを出して話し出しはじめた。米国の自然食品やサプリメントが広がった背景について要点が書いてあった。他の2人にもコピーして渡しなさいという。分厚いステーキと炭火焼きハンバーガーのことしか考えていなかったが、師はちゃんと弟子の心を見抜いていた。
別れ際に、「ちゃんと勉強してくるんじゃョ。いいな」と念を押された。振り返って「ハイ!」と答えると、ニコニコリとほほ笑む先生の顔があった。
(ヘルスライフビジネス2015年12月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)