ついに憧れのニューヨークに来た!(42)
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7月中旬にツアーで米国に向かって飛び立った。出発は出来上がって4年しか経っていない成田空港だった。結団式を終えて機内に乗ると、飛行機の窓から夕暮れが見えた。しばらくするとベルトの着用が解除になって、JTBの添乗員の小沢さんが現れた。みんなと違う席に座っていて、時々やってくる。
「みなさん!ご気分はいかがでしょうかァ~」と調子がいい。特にコーディネーター役の富田さんには愛想がいい。この人はJTBの横浜支店の人で、担当は国内の団体旅行が専門だった。主婦相手だからゴマを擦るのがうまい。その人が海外旅行に添乗出来るのは、創健社のツアー担当をしていて、そのそつのなさで中村隆男社長に気に入られたからだ。ちなみにこの人は英語ができない。
並んで座っている編集長が話し出した。昨年創健社から招待された米国ツアーも小沢さんが添乗員だったそうだ。そのツアーの朝食で、目玉焼きが食べたいとしきりに言うお客がいた。誰も目玉焼きという英語が分からない。すると小沢さんはお客の要望を伝えるため、レストラン厨房まで行って、自分の目玉を取り出す格好をして「エッグ」、「エッグ」と連呼した。不思議なことに、それがシェフに伝わった。
「おう!サニーサイド」と目玉焼きが出てきたそうだ。
「大したもんだ」と感心している。参加者には大手企業の人が多いが、大半の人が英語が出来ない。当然、私も出来ない。それに添乗員まで出来ないのでは平気だろうかと不安になった。
しばらくすると、機内の夕食が出た。今と違って、エコノミーでの食事は意外に豪華だった。というのも小さいながらもビーフステーキが出たし、デザートにケーキも付いた。お酒は飲み放題で、ビールかウイスキーの水割りを大半の人が注文した。酔いが回った頃にまた小沢さんがまたやって来た。
「小沢さん、何か歌え!」
誰かが言った。すると小沢さんはマイクを持ったふりをして、「白樺~、青空~、南風~」とやりだした。通りかかったスチュワーデスに注意されて止めたが、まるでお座敷列車である。
そのうち、電気が消えて、映画の上映が始まった。心地よく酔いが回った私は知らないうちに眠りに落ちた。
「木村君、もう西海岸だぜ」葛西博士の声で目が覚めた。機外を見ると夜は開けていた。海岸線が見えた。アメリカ大陸だ!と心の中で叫んだ。コロンブスかメイフラワー号の船長になった心地だ。米国に来たのだと思うと心が高鳴った。富田さんが東北訛りで、ニューヨークまではまだ4時間以上あると教えてくれた。それでまたひとねいりすることにした。
ケネディ空港についたのは夕方だった。迎えのバスに乗り込むと、日本人のガイドが挨拶した。画家で絵の修行に来て20年経つというガイドは日本語がかなり怪しくなっていた。
「私、日本人ございます」
いちいち言葉の終わりに「ございます」を付ける。ニューヨークの人口は何人、日本人は何人、最近流行っていることはなに。通り一遍の話を聞きながら、バスは一路マンハッタンに向かった。また眠気がさし始めていたとき、「あっ!マンハッタンございます!」とガイドが絶唱した。指さす前方を見ると、高層ビルが林立するマンハッタンが見えた。ついにニューヨークに来た!と心の中で叫んだ。すると、頭の中にはフランク・シナトラの「ニューヨークニューヨーク」が流れ始めた。
(ヘルスライフビジネス2016年1月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)