来年春に健康食品の展示会をやりたい(62)

2023年11月7日

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最近テレビを見ていたら、ビートルズ来日50周年の特集をしていた。音楽専門誌「ミュージック・ライフ」の編集長だった星加ルミ子さんがビートルズに単独インタビューをした当時の思い出話をしていた。

東京オリンピックが終わって2年経った1966年の6月だった。中学2年生だったと思うが、日本にビートルズがやってきた。陸上部の友人の本橋はお金持ちのお坊ちゃんで、ビートルズにイカれていた。当時は珍しくステレオを持っていて、日本で出ているビートルズのレコードの大半を持っていた。私も含めて貧乏人のセガレたちは、彼に聞かせてもらった。

彼は髪型をマッシュルームカットにしていた。子供たちから大人まで、刈り上げ頭が普通だった時代だ。すぐに学校で問題になった。耳にかぶさるような長い髪ではないし、今にすると普通の髪型で不思議な話だ。

生活指導担当の体育教師・中島は度々、彼の髪形に目をつけて問題にした。床屋で借り上げるように強制されると、本橋は数ミリだけ刈ってくる。そんな態度が反抗的だとして、バリカンで坊主にされた。中島は生徒の間で暴力教師と言われていただけに、面目躍如というところだ。ところが数か月してまた髪が伸びると、本橋はマッシュルームカットにした。そんな彼を同じ年ながらカッコいいと思っていた。

ビートルズ来日が決まると、武道館での公演に行くことに同級生の誰もが憧れた。チケットは抽選になり、知る限り私の中学では彼だけが当たった。するとお触れが回り、公演に行くことが禁止された。休みの届けが出て、彼は武道館に行った。後日、親ともども呼び出され処分されたようだ。理由を偽り、平日の授業時間に休んだのだから仕方がない面もあるが、学校の対応にあきれた。

このビートルズが日本から去ったあとくらいから、ラジオの深夜放送が流行りだした。糸井五郎などのしゃべりと音楽を交えた番組をいつの間にかディスクジョッキーというようになった。ニッポン放送では「オールナイト・ニッポン」、TBSラジオでは「パックインミュージック」などの人気番組が始まった。

高校に行くころになると、“深夜族”などの言葉も流行るほど、深夜放送は若者の文化となった。その頃になると放送局の催しが神宮外苑のイチョウ並木で行われるようになった。「東京バザール」といった。銀杏が黄色く色付いていた覚えがあるので、11月末のころだと思う。社会人になった後は、さすがに夜更かしはできなくなってラジオから遠ざかったが、仕事でその近くに行くと何度か寄った覚えがある。道の両側にアパレルや雑貨などのブーズが並び、若者たちが数多く集まっていた。

ある日会社に行くと、編集長が展示会をやりたいという。この年アメリカで見たような展示会をいつか日本でもしてみたいと話し合った覚えは確かにある。しかし来年の春にしたいという。そんな大それたことが我々にできるわけはない。

「東京バザールくらいなら何とかなるかもしれませんね」といったが、それとてもそう簡単な話ではないようだ。なんたって4人の会社である。いい加減にしてよというのが我々の本音だった。

(ヘルスライフビジネス2016年11月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第63回は11月14日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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