改正薬事法でも「食品は除く」の考え方は変わらない(93)

2024年6月11日

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話そうとすると目の前に小皿に乗ったガラスのコップが置かれた。白いほっかむりに割烹着を着た給食の調理のおばさんか、田舎の農協の婦人部のおばさんのようでもある。

年の頃なら40、50歳の色気も何にもないおばさんが、そのままコンロに乗せて燗を付けたやけに大きいヤカンで酒を注ぐ。田舎から出てきた若い奴には故郷のおふくろを彷彿とさせる姿かもしれない。

とにかく湯気を立ててお酒がグラスの口から溢れて、脇を伝わって小皿に溜まる。サービスである。顔馴染みになるとこの溢れる酒の量が心なしか違う。これがたまらない。

さて加藤さんはそのグラスに手を伸ばすと口に運んで、一口飲むと小さくため息をついた。生きていてよかったというところだ。

「ヤカンから酒だ。これはこれで風情がある」と一人悦に入っている。

「なぜヤカンというのか知っているかい」と、突然の謎かけだ。

「川中島の合戦でしょう」というとキョトンとしている。夜討ちで不意を突かれて大混乱に陥った陣で、若武者が慌てて兜を取ろうとする。しかしなかなか見当たらない。そこにあったみずわかしを手に取ると、ひょいと被って戦場へ出た。敵陣から若者めがけて一斉に矢が放たれた。そのうちの一つが当たって、「カーン」という音を立てた。

「矢が当たってカーンでヤカンだ」とは落語「薬缶」の一席だ。

「何を言ってるんだねェ」と加藤さん。なんでもヤカンは薬缶と書くそうだ。昔は薬草を煎じる道具に使われていたからだという。百薬の長のお酒を燗にするんだから薬缶は打って付けだといわれると、なんだか貧乏くさい飲み屋の安酒も有り難くなるから不思議だ。

「それよりもどうなんですか」というと、「おおそうだ」と思い出したように、先ほどの話を始めた。
「これは上田さんが詳しいんだが…」と座談会に出ていた上田寛平さんのことをいう。とはいえ、自分も詳しいと自負している加藤さんは薬事法の「食品は除く」について話し始めた。

薬事法は戦争中の1943年に、それまでばらばらだった医薬品に関連した法律を一本化する形で作られた。ところが敗戦後に全体主義の時代の法律は、新たな憲法の基で大幅に見直されることになる。そして薬事法も1948年には生まれ変わった。さらに世の中がようやく落ち着いた1960年にさらなる大改正が行われた。

「この改正の背景に国民皆保険の導入というのがあったんだろうなァ」という。1961年には国民保険制度が始まる。それまでお金持ちしか受けられなかった医療が、誰でも受けられる環境が整った。お金のない人はどうしていたのかというと、ちょっとした病気であれば民間薬で治してきた。国も医療関係者もそれを奨励してきた。

ところが保険制度ができると、どんどんお医者さんにいらっしゃいというわけで、この頃から民間薬の排除の下地が作られて行く。

「それで「食品を除く」を取っちゃったんですかねェ」というと、必ずしもそうでもない。

「じゃあ、どういうわけなんですか」というと、単に法律の文章を簡素化するためのようだという。

「食品を除く」を文書から外したことでその後、「身体の構造機能に影響を及ぼすことを目的にしたもの」はすべて医薬品だということになった。しかしそれはだいぶ後で都合よいように解釈しただけで、この頃はそうではなかったという。

「翌年に出た通知を見れば分かる」と加藤さん。厚生省(当時)は翌年に改正薬事法を施行する前に、1960年の薬事法改正で二条一項三号から「ただし食品を除く」という文を削除したが、医薬品の範囲に変更はないという通知を出しているそうだ。

「つまり『食品は除く』という考え方は変わらないということだ」
 そういうと、お皿からおでんのこんにゃくをつまみ上げた。

(ヘルスライフビジネス2018年2月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第94回は6月18日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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