大手の集まりを作りましょう(145)
バックナンバーはこちら
4月になった。日本橋小網町の日清製粉本社の応接室で今村さんに会っていた。というのも、編集部での何気ない話の中で、新たな業界団体が必要ではないかということになったからだ。当時、業界団体と言うと全日本健康自然食品協会が唯一の団体だった。しかし、専業企業が中心で、ビタミンブームで参入した大手企業は大半がここに加わっていなかった。これらの企業の意見を業界に反映する必要があるのではないかと言うのだ。
編集長に相談すると、確かにそうだということになった。そして、それならまずビタミンEのサプリで市場に参入している製粉、製油企業が集まるのが良いということになった。それで私の担当企業だった日清製粉に声をかけてみることにした。
すると今村さんは「油屋さんとはどうも…」と煮え切らない。そう言えば思い出したことがある。ビタミンEの取材で来たときのことだ。
「うちはビタミンEじゃあないんだよ」と今村さんは言い出した。
日清製粉は『小麦胚芽油』という名称でビタミンEを含んだ製品を出していた。この分野ではおそらく初めて販売を始めたと記憶している。しかし、遅れて売り出した豊年製油(現:J‐オイルミルズ)の『豊年エルフ』は”ビタミンEが小麦胚芽油の〇〇倍”をうたい文句に販売していた。
つまり、小麦胚芽油に比べると含有量がずっと多いというわけだ。これがどうもカチンと来たのだろう。ビタミンEのサプリメントを出している他の製粉会社に聞くと「製油会社というのはそういうものだ」という。
戦後日本は自由貿易の拡大を目指すGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に加盟した。しかし、戦前に制定された食糧管理法で米や大麦、小麦の生産・流通・消費が国によって統制されていた。
日本はようやく飢えていた時代を抜け出したが、国はこの統制を維持した。小麦はその大半が海外から輸入されていたが、この結果小麦は国が買い付けて、企業に割り当てるというやり方が、この頃までまだ行われていた。
このため、小麦は前年の取り扱い量に従って翌年の割当量が決まっていて、価格も安定していた。だから製粉企業には基本的には競争がない。1番の会社は翌年も1番である、2番の会社は翌年も2番なのである。
「割り当てで決まってうるんだからしょうがないんだ」とその製粉会社の幹部は言う。ところが製油会社の人に聞くと、置かれた環境はまるで違う。この国の統制は食用油にはない。この頃、大豆の大半は米国からの輸入に頼っていた。この価格は穀物相場によって毎年変わる。ここで値段が決まり、会社の業績が決まってしまう。
「相場によって業績が上下する商売で、博打のようなところがある」と言う。だから儲かった年は良いが、儲からない年にはボーナスなし、なんてこともあるようだ。
つまりこうした環境にいると、大手企業といえども商売が荒っぽくなる。こちらが相場師なら、あちらはお役所のようなものだという。水と油ならぬ、粉と油である。我々の口には仲良くてんぷらやたこ焼きとなって口に収まるが、これらの企業これが一緒に集まりを作るとなると、どうも抵抗感があるようだ。
「それではまず製粉関係で集まってはどうですか」ととっさに思い付いたことを言ってみた。すると「それならいいなァ」と乗り気になった。そこで日清製粉、日本製粉、昭和産業、日東製粉と順番に名前を挙げてみた。すでにビタミンEのサプリメントを出している会社ばかりだ。
「うん、まだ他にもあるが、とりあえず声をかけるなら、それくらいで良い」と言う。時期は4月の末、場所は小網町周辺で今村さんが手配するという。しかし最初だから新聞社が声を掛けて集まるという体裁をとれという。その方が集まりやすいということだ。費用はこちらで持てと言う。
「いくらもかかりゃしねえよ」といつものべらんめい口調で言う。貧乏新聞社の懐具合も知らずに、無体なことを言うものだと思ったが、その時はそのまま帰ることにした。
(ヘルスライフビジネス2020年4月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)