小網町の粉屋の集まりが健康食品懇話会へ(146) 

2025年6月17日

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会場は小網町のてんぷら屋の個室だった。日清製粉、日本製粉、昭和産業、日東製粉など粉屋から、それぞれ課長が1名ずつ顔をそろえた。

「本日はお忙しいところ、お集まりいただきまして…」と編集長が型通りの挨拶を終えると、料理が運ばれてきた。

「平気だよ。たいして高くないから」と今村さんがいつものダミ声で言う。この会合は新聞社の主催ということで行われた。その方が出席しやすいのだそうだ。しかたがないが、その分、支払いは我々が受け持つことになった。それを気遣ってのことだろうが、さらにおまけも付いた。

「どうせあとで皆さん、広告くらい付き合うからさ」と聞こえよがしに言う。それで、ああそうかと納得した。宴会の費用を支払ったとしても、広告をもらったんじゃあ、かえって焼け太りのようでもある。

「それでは、まず乾杯と行きますか」と今村さん、さっそく日本製粉の神田さんのグラスにビールを継ぎ始めた。

「どうも、どうも」と、神田さん。グラスがいっぱいになると、今度は今村さんのグラスへとつぐ。それぞれのグラスが満たされたところで、「一番の古株の今村さんのご発声で…」ということになった。

「乾杯!」の声と共に、初めての製粉企業の会合が始まった。会合と言ってもなんということはない。顔合わせである。雁首揃えて、和気あいあいと歓談しながら酒を飲めばよいのである。それぞれのお顔触れを新聞屋は心得ているが、企業同士は初めてだ。最初に各社が自己紹介するということになった。とにかく粉の分野では付き合いは長いが、健康食品は別なのである。

それで日清からということになった。日清製粉の健康食品分野への参入は古い。理由は胚芽に含まれるビタミンB1の発見で知られる鈴木梅太郎博士との共同研究がきっかけのようだ。そう言えばこの頃にも孫弟子にあたる永井さんがこの会社に在籍していた。

それで戦前にはビタミンB6 の生産を始めていた。戦後にはビタミンE、ビタミンK₁、コエンザイムQ10なども製薬会社に売るようになった。しかも健康食品としては1955年に小麦胚芽を製品化して市場に出していた。だからサプリメントを出すのも必然だったのかもしれない。

ところで『リブロン小麦胚芽油』がソフトカプセルのサプリメントの最初だとの説がある。同社のOBだった田中健一さん(元日本健康・栄養食品協会初代の特定保健用食品部長)から何度も聞いた。上田工場にカプセル充填機を据えて作り出したときには他の製品はなかったといっていたのを覚えている。

ところが、他の説もある。ジャパンヘルスの社長だった内藤さんの話では、あるとき静岡県の焼津から深海鮫のエキスを1升ビンに詰めて持ってきた男がいた。海洋牧場という会社の会長だった金子さんである。

このときにソフトカプセルにしてみたらと勧めた。酸化されやすいと聞いたからだ。これを理由にソフトカプセルとして使うことを厚生省に認めた。これが最初だとも聞いたことがある。

今ではどちらかだか知る人もいない。とにかくそれほど古い話なので、今村さんはともかく、日清製粉がかなり古株なのだ。それに比べて日本製粉は新しい。4年前の1980年(昭和55年)にやはり小麦胚芽油の『ハイガッツE』を発売して参入したばかりだった。その他の昭和産業も日東製粉もさらにその後である。

「とにかくこの商売はこれからです」ということで自己紹介は終わり、歓談に移っていった。以後の何を話は覚えていないが、酔ってくるとカラオケを歌い始めたことは記憶にある。

酒宴も終わりかけた頃に、日東製粉の小笠原さんが言い出した。

「次回はどうするんですかね」

すると「来月にでも集まりましょうや」と今村さん。皆が頷いて、次回開催が決まった。それで5月に第2回が行われ、「あとは企業の方々で…」ということで、我々は手を引いた。その後に豊年製油などの製油企業、明治製菓などその他の大手食品企業などが加わって大手企業の集まりが出来た。これが翌年に出来る健康食品懇話会(健康と食品懇話会)へと発展することになる。

(ヘルスライフビジネス2020年5月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第147回は6月24日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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