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森重さんを紹介してくれませんか(154)
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東急池上線の駅に沿うように中原街道が走り、それを挟んで洗足池が広がる。
今では東京の閑静な住宅地の一つになっているが、この辺りも今村光一の子供の頃は東京の田舎だったらしい。私が目指す今村光一の家は、洗足駅とは逆に15分ばかり歩いた住宅地の中にある。
呼び鈴を鳴らすと、ドアが開いて今村光一の顔がのぞいた。
「おお!あがれよ」
年齢は18歳上だが、棡原で同じ釜の飯を食って以来、兄貴分のような存在になっていた。家の中は相変わらず雑然としていた。玄関からすぐのところに居間があり、その奥の部屋には床の間と仏壇があった。床の間の真ん中に机があり、今村光一が座っている。机の上の木のブックスタンドに英語の本が置かれている。おそらく翻訳しているのだろう。
「仕事ですか?」と言うと、来年出す本だという。この人、乗り始めると3日くらい寝ないで続けるらしい。なんといっても5000頁のマクガバンレポートを、わずか半年で翻訳して本にしたというのが、すでに伝説になっていた。
今日も長時間やっていたのだろう、灰皿に煙草の吸殻が山となっている。手持ちの煙草がなくなったのか、灰皿からシケモクを拾い出して火をつけた。煙草の先が潰れて黒くってスミのようになっている。そこに火が付くと、青白い煙が立ち上った。しばくすると、そこが崩れて落ちた。慌てて畳のあたりを手で払った。あッちちちッ…。
「煙草ならありますよ」と言って、「マウルドセブン」を取り出した。この頃、私は1日1箱吸っていた。煙草は大学に入って吸い始め、50歳で止めたから優に30年は吸った計算になる。今から思うとずいぶん無駄なことをしたものだと思う。この間、止めようと思ったことは1度や2度ではない。
箱から一本取り出しながら、「俺は『ハイライト』なんだけど…」と勝手なことを言う。いやなら止めれば良いのに、「不味い、不味い」と言いながらそれでも吸う。煙草吸いの悲しい性だ。
「だいたい、煙草は身体に悪いし、シケモクなんてなお更だ」と言うと、だから何度も止めようと思ったのだそうだ。
「バートランド・ラッセルって知っているか」と言う。確かイギリスの哲学者かなんかで、ノーベル文学賞を受賞したことのある大先生だということは知っていた。
愛煙家なんだそうだ。この大先生は寝ているとき以外は煙草を口から離したことがないというのは有名な話らしい。
「だけど97歳まで生きたんだ」と言う。だからと言ってシケモクを吸っている今村光一が90歳まで生きる保証はない。つまり言い訳なのだが、さらにもう一つ言い訳をした。
「煙草を止めるなんて簡単だ」。ならば止めれば良いというと、「なんたって今まで20回以上止めたんだ」と言う。「この記録ではラッセルだって敵うまい」とえばる。
20回止めたのに今吸っている。と言うことは20回禁煙に失敗したと言うことでもある。そう言うと、「確かにそうだ」と納得している。
「ところで、今日はナニ?」と言われて、用件を思い出した。小学校の通信簿に「おしゃべり」と書かれて以来、気にはしているが、しゃべり出すとつい止まらなくなる質だ。
それで煙草の話は後回しで、用件を済ますことにした。
「森重さんは知り合いですよね」と言うと、「そうだ」と言う。「紹介してくれませんかね」と言うと、「なぜだ」と聞く。ポーリング博士を日本に呼びたい。それで森重さんにひと肌脱いでもらいたいのだと言うと、そんなら自分で連絡すれば良いとつれないことを言う。面識がないので断られたら困る。だから、口添えをお願いしたと思ってわざわざ来たのだ。
「それじゃあ、しょうがないな」と言って受話器をとった。
(ヘルスライフビジネス2020年9月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)