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研究所の所長から意外な話を聞いた(163)
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「あちらがスタンフォード大学です」
ガイドが示した方には林しか見えないが、その中に大学があるらしい。バスはその脇を通って、しばらく走ると研究所の敷地に入った。この日、ポーリング博士は所用で研究所にはいなかった。そのことはあらかじめ知らされていたが、とにかく日本への招聘状を届けるために立ち寄った。
会議室でのセレモニーには所長のエミール・ズッカーカンドル博士と栄養研究ディレクターのジェフリー・S・ブランド博士が出迎えてくれた。通訳はこの研究所に来ている日本人の研究者が勤めてくれた。
ズッカーカンドル博士は分子進化学という学問の中で「分子時計」というのをポーリング博士と見つけた大学者だそうだが、この時点でそのことを知っているものは我々の中では誰もいなかった。
一方、ブランド博士は分かり易かった。ビタミンCをはじめとして、栄養と健康の問題を研究していた。後年日本で一般向けの本を出した。『20日間で若返る植物栄養素』(ライフサイエンス研究所)と言った本だった。そして出版記念で来日したときに再会した。しかし私のことは覚えていなかったのでがっかりしたのを覚えている。
さて挨拶に立ったズッカーカンドル博士の口から思いもしない日本人の名が出た。
「日本の友人たちには感謝している」と言う。佐賀大学教授の村田晃さん、そして医師の森重福美さん。そして3人目として「リョウイチ・ササガワ」。そこにいた誰もが「ええ!」と思ったに違いない。
市内への帰り道に葛西博士に聞いてみた。「リョウイチ・ササガワって、あの人かなあ」と聞くと、「そうらしい」と言う。笹川良一というと、しばらく前までテレビで「一日一善」とか、「戸締り用心、火の用心」とやっていた。一見好々爺に見えるおじいさんだが、その白髪の老人はもう一つの顔を持っていた。日本船舶振興会の会長として巨大な財力を持ち、反共主義者だから当然右翼である。戦後戦犯として巣鴨プリズンに入っていた。そして日本政界の黒幕と見られていた人物だ。
このことは日本人であれば誰もが知っていた。しかしその笹川さんがポーリング博士の研究所を支援しているとは思ってもみなかった。後でエアプラントという会社の村田さんという人にある研究会で知り合った。笹川さんのグループ企業の一つで、健康食品などの販売会社だった。この村田さんは笹川さんの秘書をしていたことがあると言う。
それでこのことを聞くと、その頃、会長は健康に大変関心があったそうだ。それでWHOの天然痘根絶やハンセン氏病患者の救済などに関わっていた。ビタミンCの研究にも関心を持っていたようで、それで協力したんだろうと言うことだった。
それにしても1981年から毎年5000万円、10年で5億円を出したようだ。反共の笹川さんが共産主義者と疑われたポーリング博士の支援をする。世の中不思議なことが往々にして起きるものだ。
翌日は帰国前の最後の自由行動の日になっていた。渡辺先生が「ツアーに招待してくれたお礼だ」と昼食をご馳走してくれるという。ただし場所はフィッシャーマンズワーフ。漁師の波止場とでもいうのだろうか、ゴールドラッシュの時代に出来た漁港だそうだ。しかし今ではサンフランシスコで有名な観光スポットになっていた。
ケーブルカーが下り始めると、眼下に港が一望できる。その港のあちらこちらから、煙が立っている。これが曲者である。カニやエビがここの名物で、立ち上っているのはこれを茹でる煙だ。
私は子供の頃から鼻が利く。舌の感度も良いので、悪くなった食べ物にすぐ気付く。冷蔵庫がなかった時代で、家族は夏など私に食べさせて、「どうだい」と聞く。「ダメだ」というと、「そうかい。やっぱり悪くなってるんだね」と食べるのを止める。「平気だよ」というと、皆で食べ始める。皆に頼られて自慢でもあったが、考えてみると私を体よくリトマス試験紙のように使っていたのだ。
とにかく匂いや味に敏感な私にとって米国のシーフードはたまらなく嫌だった。とにかく臭いのだ。ところがこの国ではシーフードというとたいがいロブイスターである。あんなザリガニの化け物を有難がる米国人の気が知れない。
このフィッシャーマンズワーフでもロブスターの看板を見かける。さらにそこらじゅうでカニを茹でている。それで港全体から腐臭のようないやな匂いが立ち上っている。私にとってはいやな場所だった。
(ヘルスライフビジネス2021年1月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)