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厚生省に健康食品の部署ができた(167)
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私はこの年10月で32歳になる。30歳を過ぎた頃から、それまで一緒に遊び歩いていた友人たちが、潮が引くようにいなくなった。つまり友人は遊ばなくなった。大半が結婚したのだ。すでに子供が複数いる奴もいた。今さら独身男と付き合っている暇はないのだろう。こちらも所帯じみた奴と話して面白くない。必然的に疎遠になる。そうなって夜遊びの機会も減った。
家に帰って、一人でテレビを見ていると何となく寂しい。それで、そろそろ結婚しようかなと思うようになった。そこで彼女に会ってみようと思った。春に新宿の紀国屋画廊の帰りに会った女性のことだ。名前は原田真弓と言った。連絡先は聞いていた。
その頃、プールに行くようになっていた。1年前くらいから、仕事帰りにプールに寄って泳ぐようになった。お茶の水駅から新宿駅に行く途中に総武線の千駄ヶ谷駅がある。その改札を出て前の道を渡ると東京都体育館である。
1964年の東京オリンピックの体操の舞台になったところで、その一階には大きな室内プールがあった。自動券売機で入場券さえ払えば誰でも利用できた。それを教えてくれたのは学生時代の友人の須藤君だった。彼は卒業で銀行に就職も決まっていた。しかし故郷に帰ることを嫌って、新たな学部に入りなおして、学生を続けることにした。
数年前に小此木啓悟という精神科医の書いた『モラトリアム人間の時代』と言う本が出て話題になっていた。これは社会に出る年になっているのに出ることのできない大人のことを言う。今でいう“引きこもり”に近い。我々も似たようなものだった。しかし地方出身の彼はすでに下宿暮らしをしていて、部屋に引きこもろうとしても生活があるのでアルバイトで凌がなくてはならなかった。私のような東京出身者はたいがい実家で暮らしていた。しかし貧乏人の家だと引きこもる自分の部屋はなかった。それで働き出して自活するようになり、なんとなくモラトリアム人間を卒業した。
この友人もお茶の水にある予備校でアルバイトをするようになった。そしていつの間にかそこに勤めるようになった。職場が近いので給料が入ると誘い合わせてお酒を飲んだ。そうしているうちお腹の周りに脂肪が溜まっていることに気づいた。スリムになりたいと思い運動をすることにした。しかし今のようにスポーツクラブはなかった。そこで彼が探し出したのが千駄ヶ谷のプールだった。帰りに泳ぐと気分が爽快になった。これがいけなかった。爽快感に任せて「喉が渇いたね」と、ビールを飲みに新宿で下車してしまう。せっかく消費したカロリーはこれで元通りである。
春に新宿の紀伊国屋画廊の帰りに会った彼女にそのことを話していた。電話すると、行ってもいいという。
梅雨が明けたはずだが、薄曇りの蒸し暑い日だった。千駄ヶ谷駅前で待ち合わせてプールに行った。記憶はないが、泳いだことは間違いない。帰りは彼女が渋谷方面だと言うので、原宿の方向へ歩いた。いつも通り気だるい疲れと、爽快感を味わいながら、歩いてゆくと、居酒屋に出くわした。
彼女がビール好きということは知っていた。「ビールうまいよ!」と言うと、ニコリとした。夏の日は長い。外はまだ明るかった。店内に客はいなかった。席に座ると彼女はビール、私は冷酒を注文した。そしてどれだけ飲んだか記憶がないが、プロポーズしたことだけは覚えている。
翌週の月曜日に会社に行くと、驚くことが起きていた。
「木村君、厚生省に健康食品の部署ができたらしい」と編集長が言う。そして葛西博士が厚生省に取材に行っていることを告げた。
(ヘルスライフビジネス2021年3月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)