新聞の締め切りという憂鬱(9)

2022年11月8日

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読者にはあまり馴染はないと思うが、新聞の話をする。

私が勤めていた新聞社は専門紙の印刷屋で刷っていた。新聞の印刷は輪転機が必要になる。それで輪転機のある専門の印刷会社でないと刷れない。入社して半年は文京区の千駄木にある小さな印刷会社だった。輪転機は1台しかないので、少しでも原稿が遅れて締め切りがずれると、途端に印刷が後回しにされる。ひどいときは数日も後になる。刷り始めれば瞬く間に終わってしまう。部数も少ないし、締め切りもだらしないので、常日頃邪険にされる。だから発行日を過ぎても新聞が出ない場合がある。

「新聞は出たの?」

こんな時に限って取材した会社や広告のクライアントから電話が入る。なんだったらそちらまで取りに行くという。まさか印刷が終わっていないとは言えない。それで口から出まかせをいう。

「新聞が発送所からまだこちらに届いません」

こちらに届くまでには発送してから数日かかると説明する。大概は「それじゃ、もう少し待つよ」ということになる。ところが中には執念深い人がいて、数日するとまた電話をかけてくる。仕方がないので、第3種郵便を持ち出して、儲からないから郵便局が後回しにすると責任を押し付ける。当時は郵政省だったが御上を持ち出すと案外納得する。

しかし入稿から刷り上がりまで1週間かかることがあって、いい加減嫌になった。記事は一向に上手くならないのに、言い訳ばかりが上手くなる。印刷屋を変えることになった。

新しい印刷所は台東区湯島の旧黒門町にあった。旧黒門町といえば名人といわれた落語家8代目桂文楽の住んでいたところで、落語協会の事務所がいまだにある。印刷屋はその近くで、生産経済新聞社とビルの入り口に書いてあった。なんだか産経新聞社に似ていると思っていたら、社長は戦前産経新聞社にいた人で、戦後に生産経済新聞という紙名の新聞を発行していたらしい。戦後の激動期に心ならずも新聞を廃刊し、その印刷部門だけを残して、新聞専門の印刷を始めたようだ。その頃には池之端にも2つの印刷工場を持ち、東京で発行している専門紙の3割を刷る印刷会社になっていた。

ただし印刷屋を変えてもこちらのだらしない仕事ぶりは変わらない。原稿が出来上がらなければ新聞は出来ない。新聞を発行するには原稿の締め切りがついて回る。発行している新聞はタブロイド判4頁で月3回発行だった。つまり締め切りも3回ある。この締め切りが近づくと、毎回憂鬱な気分になる。取材は終わっていても、原稿を書く仕事があるからだ。

ちょうど小学校の頃の夏休みの宿題のようだ。明日やろうと毎日先延ばしにしていると、あっという間に8月の最後の週が来てしまう。後は地獄が待っている。なぜ夏休みに宿題なんて出すのだろうと、何度思ったことか。

新聞の締め切りも似ている。日刊紙なら毎日書くところを、月3回の発行では生来のだらしなさもあって、つい毎日書かなくなってしまう。他の編集部の連中も似たり寄ったりで、結果的に締め切り間際になって書き始める。まだ私は1年数か月の駆け出し記者である。急げば粗い字で書き飛ばす。文選といって原稿を見ながら鉛の文字を拾う職人がいたが、この職人さんを悩ますことになる。「なにを書いているのか分からない」と始めのうちは怒られた。誤字脱字が多い。文選の職人さんより、書き手の方が教養がない。そのうち気を利かせて、黙って誤字脱字を直してくれるようになった。

ところがそれに輪をかけて嫌なのが、印刷屋の担当者が時間になると原稿を取りに来ることだ。「今から原稿頂きに行きます」との声が受話器の向こうから聞こえると、逃げ出したくなる。市川慶介という人が進行の責任者だった。この人には頭が上がらない。新聞の割り付けを教えてもらっただけではなく、現場の職人との間に入って、上手く仕事が進むように勧めてくれる。原稿が出来ていないため、編集部全員で逃亡したこともある。

新聞の発行日は1日、10日、20日である。たまたま業界団体の「大同団結の日」が発行日に重なった。

4月20日に業界団体が合同した。日本健康自然食品協会と日本健康食品製造協会の2つの団体が一本化して、全日本健康自然食品協会が誕生するらしい。設立総会の場所は東京・麹町のダイヤモンドホテルだが、どうしたことか日曜日だという。企業の会合は大半がウィ-クディというのが相場だ。お蔭で日曜出勤になった。

(ヘルスライフビジネス2014年8月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第10回は11月15日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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