モスクワ五輪ボイコットでも始まった日本のスポ-ツ栄養市場(8)

2022年11月1日

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年が明けて1980年になった。この年4月にスポ-ツ飲料の走りとなる大塚製薬の「ポカリスエット」が発売された。ただ、まだスポ-ツ飲料という言い方は一般的でなかった。そのためかアルカリイオン飲料という言い方をした。

発売されても、しがない健康食品の専門紙には記者会見の知らせや、プレスリリースは来ない。他の新聞を見て、後で取材を申し込む。

「ああそういう新聞があるんですか」たいがいそう言われた。ただしぶしぶでも多くが取材には応じてくれた。大塚製薬も同様で、約束の日時に神田司町のまだ新しいビルに行った。年の頃は30歳の半ばくらいの担当者が待っていた。最初はえらく高飛車な感じのする応対に嫌な感じがした。ところが話が進むうちに次第に商品の説明に熱が入るようになって、最初の印象とは違ってきた。

大塚製薬は子供の頃のテレビの人気番組で大村崑(こん)主演「頓馬(とんま)天狗」のスポンサ-だった。番組が人気を呼んで同世代の誰でも知っている会社だった。鞍馬天狗を模した主人公が「姓はオロナイン、名は軟膏」というと決め台詞が流行った。小学生の私たちは意味もなく「オロナイン軟膏」を買って、顔や手に塗りたくった。しかしここで初めて知ったが、大塚製薬は医療用の製薬会社でもあった。点滴では日本で一番大きな会社だという。この点滴の技術を応用して作られたのが「ポカリスエット」だった。それまではスポーツをするとき、水を飲んではいけないといわれていた。中学の頃、陸上部だった私は、先輩の目を盗んで水を飲み、こっぴどく叱られた覚えがある。しかしその頃になると「水分とミネラルの補給は大事」だということになっていた。

この水分補給のスポ-ツ飲料ではすでに雪印食品が「ゲーターレイド」が出ていた。これは1965年にフロリダ大学のケイド博士がフットボ-ルチ-ムのために開発した水分補給を目的にした飲料から始まっている。日本に上陸したのは1970年だとされるが、この時期には一部のスポーツマンの間で愛用されていたもの一般の人の間ではほとんど知られていなかった。

一方、時を同じくして明治製菓(現明治)がスポーツフーズの「ザバス」を発売した。米国では、ボディビルダーなどの間で大豆たんぱくを粉末にした「プロテイン」が筋肉をつけるために広く使われるようになっていた。さらに良いコンディションでスポーツをするためにビタミンなどを補給する“スポーツニュートリション”というサプリメントの分野が出来上がっていた。しかし日本ではこの分野の先覚者であろう野沢さんという方が経営する健康体力研究所が唯一「パワープロテイン」という製品をボディビルダーに販売していたのみだった。これを全国レベルにしたのがこの「ザバス」の発売だったといってよい。

しかし、これを私は取材した覚えはない。編集長が明治製菓の担当だった。記者会見は彼が行ったに違いない。後で「ザバス」の全頁広告が私たちのタブロイド版の新聞に掲載された。大手企業の大きな広告が載ったのはこの時が初めてだったように記憶している。それだけ力の入れようが分かる。

この年7月にはモスクワオリンピックが予定されていた。企業としてそれに照準を合わせていたのかも知れない。ところが前年の12月に突如ソビエト(現ロシア)がアフガニスタンに侵攻した。1月には米国のカ-タ-大統領がボイコットを提唱したため、雲行きが怪しくなった。結局、日本は米国と共にボイコットして、金メダル確実といわれていた柔道の山下らが涙を呑んだ。それでも、これらのスポーツ飲料やフーズの市場はこの年から始まった。

(ヘルスライフビジネス2014年8月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第9回は11月8日(火)更新予定(毎週火曜日更新)