すでにブックを使ったサプリの普及が行われていた(15)

2022年12月20日

お茶の水の駅からニコライ堂の脇の坂を下って行くと、道の左側に龍名館という老舗の旅館がある。その1階にケヤキというレストランがあったが、その先の路地を左に曲がって、少し行くと2階建てのモルタル塗の山崎ビルがあった。ビルと呼ぶかアパートと呼ぶかは持ち主の勝手だが、とにかく何とも言い難いが、雑居ビルの中にわが編集部があった。給料が入って、多少金回りの良いときは、このレストランでランチを食べた。しかし大概はもっと安い定食屋か、最悪はカップめんだ。

夏の暑い日だったと思う。昼食を済ませて、帰ろうとして路地の位置口に差し掛かると、事務所の方から編集長がやってくる。顔がやや緊張している。

聞くと、「よりによって客が事務所に来る」という。「エッ!」と思わず口を付いて出た。私がいうのもなんだが、薄汚いゴミで散らかり放題の4畳半の、事務所とは名ばかりのところだ。出来たら見られたくないし、来て欲しくない。事実、私が入社して1年数か月、事務所に来た業界関係者は誰もいなかった。

たいがい来るという人がいると、「取り込み中なので」という。すると近くの喫茶店で落ち合うことになる。そうなれば一安心だが、もう一つの問題がある。コーヒー代をどちらが持つかということがあるからだ。

貧乏な会社で給料をもらえているだけで幸運だと思わなければならない。余計な出費は極力控えねばならない。コーヒー代は必ず企業の人にご馳走になるというのが、会社の方針であり、編集長によると園田社長の“社是”だという。

しかし訪ねて行った先で、喫茶店に誘われてお茶になった場合や落ち合った場所でお茶になった場合と違って、訪ねてきた人にご馳走になるのは、血液型がA型の気質を持ち合わせている私としてはどうも腑に落ちない。しかも大概の場合、取材と同時に広告もお願いする。お願いの上に、お願いを重ねて、さらにお茶代まで払ってもらうのは、“侍”のプライドが許さないというものだ。

喫茶店で話していると、ウエイトレスが伝票を机の上、しかも寸分たがわず両者の間に置く。するとこの伝票がしきりに気になってしょうがない。話し終わるときにこれを相手が手を伸ばして来れば、すかさず「ご馳走様です」ということにしていた。そうすれば相手は払わざるを得ないと覚悟を決める。覚悟は大事だ。

しかし中には私と同じA型気質で、事務所に行けばそちらがお茶の一つも出すのが当たり前なので、この支払は当然、自分が払う筋合いはないと思う人もいる。覚悟がないのだ。こうなると伝票を挟んでしばらくにらみ合いが続く。得も言われぬ緊張感で息苦しくさえある。川中島でにらみ合った武田信玄と上杉謙信か、巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎か。この睨み合いには殺気さえ漂う。一瞬の緊張の後、心の弱い方が折れる。剣豪の修行のようだ。

それはさておき、今回の客は事務所に来ると言って聞かないらしい。仕方ないので編集長は迎えに出たというわけだ。人が来ると座る場所もないので、どこかの喫茶店にでも行っていろという。その瞬間、コーヒー代は誰が払うのかという疑問が湧いた。思いが顔に出たのだろう。「領収書をもらって来い」という。簡単に“社是”が変わった。

喫茶店から帰ると、客は2冊の本を置いて帰っていた。客はヘルシー産業の宮崎俊行社長だった。当時、訪問販売の毎日商事を中心にした企業グループが脚光を浴びていた。このグループ企業の一つで、ローヤルゼリーなどを製造して毎日商事に収めていた製造企業の社長だった。

本の中身はピークがやや過ぎてはいたが、まだ売れていたグルコマンナンとシイタケ菌糸体だった。自分の会社で販売している製品の宣伝に本を使う“ブック商法”はこの頃にはすでに行われていた。しかしその後ほど本が売り上げに直結していたわけだはない。まだのんびりした時代だったのだ。

記事で取り上げて欲しいというのが用件で、私が取材に行くことになった。

(ヘルスライフビジネス2014年11月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第16回は12月27日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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