「一緒に行きましょう」香港の展示会に招待される(16)

2022年12月27日

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東京の小岩で電車を降りた。高架下を東京方面に戻ると新中川に突き当たる。この河畔の辺りに毎日商事とそのグループ企業があった。ヘルシー産業もその一つで、この川べりにあった。

社長室に通されると、宮崎社長はにこやかに迎えてくれた。「それにしても大変な事務所ですね」といわれたが、スッポンポンになったところを見られてしまったようで、ひたすら恥じ入るばかりだ。

よほど気の毒だと思ったのか、書籍紹介の記事が載るときに広告を出してくれるという。有難い話で、すぐに飛びついた。本はグルコマンナンとシイタケ菌糸体について書かれたものだ。両方ともこの会社が自社の製品を持っていた。目的は販売促進だ。しかしシイタケ菌糸体の製品は変わった名称だった。「シャングー」という。後で知ったがシイタケのことを中国語で「香菇」と書いて「シャングー」と読む。理由は香港で販売しているかららしい。

この時期、海外で日本の健康食品を販売している企業はほとんどなかった。大変珍しかったので聞くと、香港に馬さんという中国人女性がいて、この人が売っているからだという。

この馬さんは、日本の山野愛子さんの学校で美容師の勉強をして、香港に帰り美容の先生として有名になった。テレビなどでも活躍しているが、その知名度を利用して、美容だけでなく、実業家としても手広く仕事しているという。その一つが日本の健康食品の販売で、香港の百貨店に売り場を持っているようで、そこでの売れているのがシャングーだったらしい。

シイタケ菌糸体は数年前に日本で大きなブームになっていた。私が業界と縁を持つ前なので詳しくは知らないが、週刊誌ががんに効くと取り上げてブームになったという。百貨店の健康食品コーナーでも飛ぶように売れたようだ。

当時、すでに香港の金持ちたちは”メイドインジャパン”に強い関心を持つようになっていた。健康食品でも日本で話題になっているものが売れる傾向がすでにあった。シイタケ菌糸体の健康食品もそんな一つだったが、日本ではすでにブームは終わっていた。このため販売促進を狙って本を出したのだろう。

取材が終わると、「実は…」と宮崎社長は別の要件を切り出した。香港での健康食品の展示会を開きたいということだった。香港では馬さんが、日本では宮崎社長が企業を集めることになっているらしい。そこで私に日本の企業を集める手伝いをして欲しいというものだった。国内の販売でも汲々としている企業が、香港などへおいそれと行くとは思えなかった。当時は東京の企業が大阪に進出するだけでも一大事だった。広告をもらった手前、断るわけにもいかず、とりあえず募集記事を書く約束してこの場を後にした。展示会は翌年の2月にやりたいとのことで時間がない。あわてて記事した。

12月8日だった。その日ジョン・レノンが死んだ。ニューヨークのセントラル・パークに面したダコタハウス前で、ファンを名乗る男に射殺された。湯島の印刷屋の出張校正室のテレビは盛んにこのニュ-スを繰り返し流していた。ビートルズ、そしてジョン・レノンは私たちの世代の英雄であり、青春そのものだった。なんとなく重い空気が流れていた。

「長嶋さんよりすごいな」と誰かがいった。この秋に長嶋茂雄監督が解任されていた。

ヘルシー産業に電話しなければならなかった。気は重かったが、香港の展示会の締め切り日だった。掛けると「どうですか」と宮崎社長の声がした。集まり具合を報告することになっていた。「厳しいです」というと、答えを想像していたようで、此方である程度集まったから、心配いらないという。ともあれほっとして、電話切ろうとすると、「いろいろやってもらったので一緒に行きましょう」という。お金ありませんがというと、招待するという。「え!香港に行ける!」いわれるまで思いもしなかった。実はこの仕事に就くまで新幹線にも乗ったことがなかった。まさか外国に行けるとは…。天にも舞い上がるような気持ちとはこのことか、ジョン・レノンが死んだことなどどうでも良くなった。

(ヘルスライフビジネス2014年12月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第17回は1月3日(火)更新予定(毎週火曜日更新)