羽入田さんから一冊の本をもらう(30)

2023年4月4日

バックナンバーはこちら

話は8年前の1973年11月に遡る。

「ターちゃん!トイレットペーパーがなくなるって、みんな騒いでいるよ」

ターちゃんとは実家での私の愛称だが、久しぶりに実家に帰ると母親の顔つきがいつもと違う。聞くと隣近所の人はみんなトイレットペーパーを買うために駅前のスーパーに行ったという。財布を買い物袋に入れながら、「早くしないと無くなっちゃうから、私も行って来るよ」と玄関に向かいかけて、「でも、石油がなくなると、なぜトイレットペーパーがなくなるんだろうね」とつぶやいた。

1973年(昭和48年)の暮れに第一次オイルショックが起こった。石油が高騰して物価を押し上げた。これが社会的な不安を引き起こし、不思議なことにトイッレトペーパー事件につながった。以降日本経済は不況に入り、これがようやく経済が持ち直した70年代後半にはイラン革命が起き、1979年には第2次オイルショックが起こった。

今度はトイレットペーパーがなくなることはなかったが、この話が進行している1981年頃は日本はまだこの不況の中にあった。当然のことながら、不況下でどこの会社も給料が上がらない。しがない健康食品の業界の新聞ではなおさらだった。

ところがこの年の2月の芥川賞は80年代後半のバブル景気を予感させるような小説が受賞した。田中康夫著の「なんとなくクリスタル」だ。お茶の水の本屋でうず高く積まれた受賞作を立ち読みした。数頁読んだだけで不愉快になった。ファッションモデルのアルバイトの女子大生を主人公にした小説だが、登場するブランドやレストランなどの註が沢山載っていた。彼の書いている世界へのやっかみもあって、本も読んでいないのにそれ以降作者の田中康夫を嫌いになった。

とにかくこちらの日常は水晶(クリスタル)ではなく、まるで路傍の石だ。毎日提灯記事を書き、広告取りに明け暮れている。この日も新製品が出たので取材しに来いという電話がった。健康自然食品の有力問屋のリケンからで、電話の主は羽生田という人からたった。それで翌日取材に行った。

東西線の南砂町で下車して、数分で2階建ての社屋に着いた。来社を告げると、細面の目つきの鋭い細面の40代の男性が現れ、「羽生田です」と告げた。名刺をみると副社長と記されていた。副社長が出てくるとは思わなかったが、広報担当だという。新製品の一通り取材すると資料をもらってその日は帰った。記事にして新聞は送ったが、そのまま忘れていた。しばらくして編集部に電話があった。私はいなかったので助かったが、電話に出た同僚は羽生田副社長の怒鳴り声を聞くことになった。

「あんたのところの新聞はどうなっているんだ!」これが第一声だ。とにかく興奮しているらしい。それでひたすら謝まった。しかし同僚は博士と呼ばれるだけのことはある。謝りながら理由を聞いた。記事に間違いがあるらしい。私が帰ると、編集長がすぐに謝りに行けという。記事の指摘を見ると、確かに間違っていた。しかし、なにも怒って電話をするほどのことでもない。しかし、そんなことを言ったら火に油である。間違いには違いないので謝ることにした。怒りの具合から、電話で済みそうもないので、会社に行って謝ることにした。アポイントを取るべきかどうか迷ったが、断られる可能性もあるのでアポなしで行くことにした。

再びリケンを尋ねると、副社長には先客があった。40分ほど待たされた後、本人が出てきた。意外なことに怒っている様子はない。それでも平身低頭お詫びをして、訂正記事を書くことを申し出ると、あっさり許してくれた。

今度は間違いないように記事を書いた。新聞が出て数日するとまた羽生田副社長から電話あった。ちょっと来いということらしい。また怒られるかと思いながら恐る恐る訪ねたが、今度は違っていた。仕事が誠実だと褒めてくれた。どうもこの人は新米記者を教育するつもりで怒ったふりをしたということが次第に分かってきた。しかも嬉しいおまけがついた。新製品を出したのだから広告を出だしてやるという。これで恐れていた羽生田さんが一気に好きになった。

話が一段落すると本を見せられた。

「こういう本を知らないか」とテーブルに投げてよこした。「今の食生活では早死にする」というタイトルの本だった。この時はこの本が自分に決定的な影響を与えることになろうとは思いもしなかった。

(ヘルスライフビジネス2015年7月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第31回は4月11日(火)更新予定(毎週火曜日更新)