ビタミン大量投与の広がりにFDAが規制を画策(50)

2023年8月15日

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人間の業といえばそれまでだが、戦争ほど人の世の中に役に立たないものはない。しかし科学や技術の進展ばかりはそうでもなさそうだ。おそらく軍隊がなければ、栄養学などという科学もどきの学問は生まれもしないし、育ちもしなかったに違いない。

米国でビタミンのサプリメントの問題は第2次世界大戦中に遡る。1日に必要な栄養素の国の基準はこの戦争の最中に国防を目的に国立科学アカデミー(NAS)の委員会でつくられた。

1941年の食品栄養委員会では、リディア・J・ロバーツ、ヘーゼル・スティブリン、ヘレン・S・ミッチェルの3名の学者が、それまで軍隊で使われていたこの基準をさらに一般の人にまで広げた。これがカロリーと8種の栄養素についての摂取基準「RDA(Recommended Dietary Allowance)」だが、これで国民の1日栄養推奨量が初めて世に出ることとなった。

日本でRDAに当たるのが「日本人の栄養所要量」だが、これが出来たのは1969年( 昭和44年)のことだった。なんと米国より28年も遅れている。しかしこれが日本の栄養政策の現実だともいえる。

何はともあれ、この栄養基準を決めたことで、必要な栄養素、なかでもビタミンやミネラルの必要性が広く知られるようになった。これがサプリメントへの追い風になった。そしてビタミンなどの大量投与が言われるようになって、サプリメントの市場は次第に活況を呈するようになる。

1950年代には、カナダ・サチカチワン州の精神科医エイブラム・ホッファー博士がビタミンB3(ナイアシン)の大量投与による統合失調症の治療を始めていた。これは統合失調症の患者の症状が、それまで米国で多発していたペラグラという病気の精神的な症状に似ていたからだといわれる。ペラグラはナイアシンの欠乏によって起こる。そこで、ホファー博士は栄養摂取基準にあるように食事で摂れる量のナイアシンを与えたところ、症状が治まる患者もいたが、治まらない患者もいた。

通常、ヒトは体内でトリプトファンからナイアシンを身体の中で作るが、通常量の投与で治らない患者はこのトリプトファンからナイアシンの生合成がうまくない人なのではないかと考えた。それが大量投与を始めた原因だった。ナイアシンの必要量は栄養基準では成人(30〜49才)男性で1日15〜350mg、女性で12〜250mgだ。ところが、ホッファー博士の治療では 1〜10g以上という、けた外れの量を患者に与えた。そしてこれが治療に大きな成果を上げた。

残念なことに精神安定剤のトランキライザーが出回るようになって、ナイアシン療法の存在は忘れ去られたかに見えた。しかし、ライナス・ポーリン博士によって再び脚光を浴びることになる。

ノーベル賞受賞のポーリング博士が1968年にはビタミンCの大量投与を提唱した。ビタミンCをグラム単位で摂ることで、がんや風邪、インフルエンザの予防や治療に効果があるというのだ。これは米国中で話題となり、論争を呼んだ。博士はさらにビタミンの大量投与の新しい医学「オーソモレキュラーメディシン」(分子矯正医学)を提唱した。
このためビタミンのサプリメントはさらに一般の国民の間に広がっていった。

この間、これらの動きに批判的な勢力も活発な動きを見せた。一部の消費者団体、さらに既得権益が侵されかねない製薬企業や医療関係者だ。

このなかでサプリメントを含めた加工食品のビタミンの含有量をRDAの150%以下に制限し、「ビタミンとミネラルは、一般に利用できる食品によって大量に供給される。特別な医療ニーズをもつ人を除いて、栄養補助食品の日常的な消費を推薦することの科学的根拠がない」という表示を義務付けようとした。

(ヘルスライフビジネス2016年5月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第51回は8月22日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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