ジャズの聖地でケイジャン料理を食べる(52)

2023年8月29日

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メイプロインダストリーズは今では日本、上海、米国などに拠点を持つ商社に発展したが、その頃は設立してまだ4年しかたっていなかった。

山田社長はなかなかハンサムで、年齢も40そこそこだったと思う。ワイシャツの腕をまくり上げて、お客に盛んに売り込んでいた。

付き合うようになって聞いた話だが、神戸の大学を卒業して中外貿易という中堅商社に採用されて、商社マンとして第一歩を記したのがニューヨークだったようだ。米国のビジネスに手を染めるにうちに必要を感じ、勤めながらニューヨーク大学の大学院でMBA(経営学修士)を取った。そして独立を果たした。

「何を売っているんですか」と聞くと、日本から健康食品の原料や医薬品の原料を輸入して売っているという。後年、日本からコエンザイムQ10の原料を米国に出していた窓口だったことを知ったが、まだこの頃には手がけていなかったかもしれない。日本との商売ではゼネラルニュートリションセンター(GNC)の日本進出に関わったり、ダイエット食品で一時代を築いたガルシニアの原料を輸入したりして、市場に大きな影響を与えることにもなる。

「あんたがたはダレ」と聞くので名刺を出すと、「新聞読んでるよ」という。まさか米国で読者に会おうとは思ってもみなかった。それで急に距離が縮まった気がした。商売をしているのだから当然といえば当然だが、米国のサプリメント市場のことを聞くと、的確な返事が返ってくる。これがきっかけで、次回の米国ツアーから山田社長にレクチャーをお願いすることになった。

ホテルに帰ると、夕方街に出た。観光客が集まるのはフレンチコータという旧市街だった。このニューオリンズのあるルイジアナ州は1803年にナポレオンのフランスから買い取り、アメリカ合衆国になった。しかしそれまではフランス領だった。その名残がフランスの王・ルイ14世にちなんでつけられたルイジアナの名称であり、ミシシッピー川の河岸に開けたニューオリンズのフレンチコータの街並みでもある。この川がメキシコ湾に注ぐ河口があるニューオリンズは、農産物の海外への輸出の窓口として栄えた。

「それで奴隷として多くの黒人が連れて来られた」とフジピュリナプロテイン課長の塚本さん。
ジャズが好きなだけに、ニューオリンズの歴史にも詳しい。ノーブルブラックという言葉を教えてもらった。この地域では混血のことをクレオールというそうだが、白人との混血を積極的に推進したそうで、白人の顔つきをした黒人が多い。これをそう呼ぶそうだ。差別をなくすためなのかもしれないが、その方が差別的な気がした。

街の中心のロイヤルストリートに行くと、ライブハウスやレストランが並んでいる。レストランの2階から綺麗な女性が通ると、ビールでご機嫌になった男たちが声をかけてはしゃいでいる。ストリートミュージシャンの奏でる音楽などが混じり合って、まるでお祭り騒ぎである。

レストランでこの地のケイジャン料理を食べようと誰かが言い出した。ケイジャンとはこの地に住み着いたフランス系カナダ人の料理で、パエリアに似たジャンバラヤやシチューのようなガンボなどだが、カキや魚のフライにレモンを搾って食べた記憶しかないのはどうしたことだろうか。

ビールを大分飲んで、ほろ酔い機嫌でレストランを出で、ニューオリンズジャスの聖地プリザベーションホールに向かった。しかし長蛇の列で、とても入れそうにない。外でルイ・アームストロングばりの演奏を聞いてあきらめた。

(ヘルスライフビジネス2016年6月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第53回は9月4日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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