ゴールドラッシュに沸いた街、サンフランシスコ(53)
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1848年、ドイツ移民の農園主であるジョン・サッターに雇われたニュージャージーの食い詰め者のジェームズ・マーシャルは掌に乗った金色に輝くカケラ欠を見てため息をついた。
「旦那、やっぱり金ですかい」
サクラメントよりさらに内陸に入ったコロマのアメリカン川沿いに製材工場を作る仕事を任された。彼は工場の水車の排水溝のところで金色に輝く斑点をたまたま見つけた。手に取ると砂金のようだった。その細かいカケラを叩いて割れるのが黄鉄鉱で、伸びるのが金だと聞いたことがあったからだ。叩いたカケラは割れなかった。
「金だ」と思うと、思わず身震いした。持ち帰り旦那に見せた。分析すると23カラット(純度96%)はある最高品質の金であることが分かった。
「やっかいなことになるな」と農場にしか興味のないサッターは舌打ちした。そしてその懸念は的中した。わずかばかりの間にアメリカ国内はもとより、世界中から人々がぞくぞくと一攫千金を夢見て押し寄せた。
それから12年後の1860年3月に咸臨丸に乗った勝海舟らがこの町に来た頃には、もともと人口1000人ほどだった海沿いの寒村も5万人ほどのにぎやかな街になっていた。
「というわけで、ゴールドラッシュでサンフランシスコという街が生まれたわけだ…」と空港から街中に向かうバスの中で、コーディネーターの富田さんがガイドばりに話をした。今回のツアーの最終訪問地であるサンフランシスコ空港には昼前に着いた。バスは空港からダウンタウンを通り越して、ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)へ向かっている。まずは観光して、ナチュラルフーズの店の見学の予定だ。
ゴールデンゲートブリッジは、思っていたより大きなつり橋だった。そのたもとに立って橋の下を見ると、流れがかなり速そうで、小さな漁船風の船が流れに逆らいながら喘ぐように進んでいく。湾の中に小さな島が見える。アルカトラズ島というのだそうだ。湾内の海流がきついせいで脱走する可能性がないため、刑務所に使われてきたという。有名なギャングのアルカポネも収監されていたようだ。
さらに驚いたのは内陸から地を這うように雲がこちらに向かってくることだ。カルフォルニアを北上する暖流の湿り気と西風が山に当たって出来るらしい。特に朝晩はこの霧が街を包むそうだで、サンフランシスコ名物の一つだ。
続いてフィシャーマンズワーフに移動した。この名称は漁師の波止場という意味だが、漁港として栄えた名残でエビ、カニ、魚を食べさせる店が220件以上軒を連ねた一大観光地になっている。バスを降りると、街全体がエビやカニの臭いに包まれている。
「よし、カニを食べるぞォ~!」という葛西博士が原始人のような雄叫びを挙げた。「私はエビだなァ~」とJTBの添乗員の小沢さん続く。浮かない顔をしていたのか、親しくなった参加者の児玉さんが「どうしたんですか」と声をかけてきた。
「ダメなんですよ。エビやカニが…」といったが、大概の人の反応は同じだ。アレルギーですかということになる。そうではなくて、この臭いがなによりも嫌なのだ。腐臭のような独特の臭いだ。もちろん新鮮なやつなら喜んで食べる。しかしここは街中からこの臭いが立ち上っている。この頃から米国では魚はヘルシーだということで、シーフードレストランを見かけるようになった。しかし大半の店で出てくる魚介類の鮮度は良くなかったし、スーパーマーケットの鮮魚コーナーは鼻をつまんで通り過ぎるようなひどいものだった。
とにかくこの場所でも、その臭いを嗅いだ瞬間に食欲はなくなった。いちいち説明するのも面倒なのでアレルギーということにして、レストランではパンをくり抜いて容器にした、クライムチャウダーを食べることにした。
「そういえば、ここはヒッピーの町でしたよね」と水っぽい「ハイネッケン」のビールをすすりながら児玉さんが話始めた。
(ヘルスライフビジネス2016年6月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)