ヒッピー発祥の地で自然食品店を視察(54)
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1968年だった。私は中学3年生になっていた。2つ上の兄の影響でラジオを聴くようになっていて、糸居五郎のオールナイトニッポンがすでに始まっていた。2年前にはビートルズの東京公演があり、日本中がビートルズのファンになった。そのビートルズがこの年の2月にインドに行ったことが話題になった。瞑想だのサイケデリックなどという言葉が流行り、訳も分からず使っていた。
秋、ラジオから英語の歌が流れた。
「If you‘re going to San Francisco/Be sure towear someflowers ㏌ your hair」
もしあなたがサンフランシスコに行くのなら、髪に花を飾るといい─―といった意味の歌だ。テンポの良いこの曲の主はスコット・マッケンジーという米国の若い歌手だった。ゲストで招かれた音楽評論家は先週サンフランシスコから帰ってきたばかりだと告げた。
夏休みということもあって、サンフランシスコの街には全米から若者が続々と押し寄せてきて、この歌のように街行く人に次々と花を手渡している。〝フラワーピープル〞というらしい。そしてこれを〝ヒッピームーブメント〞と呼んだ。
この年の5月にはパリのカルチェラタンで大規模な学生デモが起きた。これをきっかけに労働者も巻き込む大規模なゼネストに発展する。このゼネストはこれまでとは様子が違っていた。米国の引き起こしたベトナム戦争と、ソ連のワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキアのプラハへの侵攻に反対して、自由、平等、自治のスローガンを掲げて、フランスの体制を揺るがすものとなった。
このニュースはフランスの〝5月革命〞として、瞬く間に全世界に広がった。日本でもこの年には日本大学でバリケード封鎖があり、学生たちが機動隊とやりあう事件が起きた。さらに翌年には、東大安田講堂に全共闘の学生が立てこもる事件が起きている。
このヒッピーを日本ではフーテンと呼んでいた。無職で街をふらつく者というらしいが、映画になる前のテレビでやっていた頃と時期が重なるので、「男はつらいよ」のフーテンの寅もこの名残かもしれない。
しかし米国のヒッピーは違っていた。サンフランシスコにはヘイト・アシュベリ地区という場所がある。この公園でカリフォルニア大学バークレー校の哲学科の学生たちが始めた運動が発端だといわれる。資本主義の発展は米国に経済的な豊かさをもたらしたが、人間らしい暮らしを失い、その挙句に泥沼のベトナム戦争で多くの若者が死ぬことになる。
何かがおかしい。若者たちはそう思った。そして物質主義を否定して、既成の制度、習慣、価値に反逆、自然に回帰する運動が生まれた。新たな価値観を打ち立てようとしたのだ。医療の分野では治療から予防への転換が図られるようになる。
実はこのヒッピームーブメントの中から、有機農業や自然食、ハーブサプリメント、ヨーガ、瞑想などが出てきた経緯がある。そのためか、こうしたビジネスで成功した人を後年「ヒッピーがヤッピーになった」というようになった。つまりフーテンがエリートになったということらしい。その成功者がこの業界には多くいる。
昼食が終わると、ナチュラルフードの店の視察になった。バスで行ったのでどの辺りか覚えていないが、街中だったことは確かだ。バスを降りて店に入ると、まるで絵に描いたようなヒッピー的な店だった。
「お香ですかね」というと、ガイドが「インドのですね」という。腋臭のような変な匂いが店の中に漂っている。出てきた店主は典型的なヒッピースタイルだった。ジーパンに麻のインド風のシャツ、長髪にヘアバンドで、いかにも60年代といったスタイルの男性だったが、年齢は40才代のおじさんだった。
「昔の名前で出ていますだね」と誰かがつぶやいた。
(ヘルスライフビジネス2016年7月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)