展示会場は墨俣の一夜城出現(75)

2024年2月6日

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2日目の朝がきた。晴海の展示会場に来て驚いた。フーデックスと我々の会場の間に延々と柵ができていた。

「墨俣の一夜城ですね」と事務所の受付に陣取っている清水社長は言う。織田信長の美濃攻めの時に、木下藤吉郎が長良川沿いに一夜で築き上げたとされる城である。芝居の書き割りに毛の生えたようなものだったようだが、会場に突如現れた柵も一夜城みたいなもので、書割ではないが柵の丈が低いので、超えようと思えば簡単に超えことができる代物だった。

「とにかく昨日の呼び込みが効いたんでしょう」と清水社長は笑いながら言う。あまり客がこちらに行くのであちらの主催者も頭に来たようで、だいぶ国際展示場には文句が行ったらしい。

「怒られたでしょう」というと、そうでもないという。ちょっとマイクの音量を絞ってくれと言われただけだというが、おそらくそうではあるまい。柵はそのことを如実に物語っている。「とにかく後2日ですからそのままやっちゃいましょう」と平気な顔をしている。

それではと岩澤君がアルバイトを引き連れて呼び込みに出て行った。もちろん拡声器のボリュームはやや絞った。しかしその日は集客を心配する必要はなかった。テレビでちょっとだけ流れたのと、知り合いだった東京新聞の小林さんが朝刊に記事を載せてくれた。そのおかげで、午前中から客足は順調だった。

それを見た編集長が「そろそろ行ってくれないか」という。初日のセレモニーの終わった全米栄養食品協会(NNFA)のローズマリー・ウエスト会長はお役御免で、後は観光だという。今日は終日東京見物だが面倒を見る人がいない。それで頼んでみたら2つ返事で引き受けてくれた人がいた。

正垣親一だ。東京外語大のロシア語科を出た人で、我々の業界ではクロレラに関係した仕事をしていた。なかなかの人物で、クロレラのカビ毒による光過敏症の「フェオフォルバイド事件」として社会的な問題となると、クロレラ科学研究会を立ち上げ、東大の先生方を巻き込んで、この解決に一役買った。

この正垣さん、商売とは別の顔を持っていた。ジャーナリストである。当時ロシアはソビエト連邦の時代で、社会主義政権が支配していた。ロシア語を学んだことと関係があるのだろうが、反体制派に精通していいて、ソ連で何か問題が持ち上がると中央公論や文言春秋などマスコミに登場した。

今ならテレビのワイドショーのコメンテーターにピッタリな人で、なかなか才気煥発な人だった。ただしやや太り気味で、おしゃべりなところが玉に瑕といったところだった。それで「男のおばさん」と言われると本人は言っていた。惜しいことに2001年に53歳で亡くなった。つまりこの頃は34歳だったようで我々のちょっと上の位の年齢だったが、ずいぶん大人に見えた。

そんな人が暇ではないはずなので、男気で私たちのためにひと肌脱いでくれたのだろう。ウエストおばさんが宿泊しているホテルはお茶の水だから、地下鉄千代田線で4つ目の日比谷駅の改札で待ち合わせた。会ったと同時に正垣さんは「男のおばさん」の本領発揮である。べらべらと英語で何か話し始めた。

するとウエストおばさんは満面の笑みになって、「オー!」と感嘆詞を発している。でも「マーベラス!」ではないのでそれ程でもないかもしれないが、とにかく「日本に来て初めて英語の出来る人に出会えた」と言って喜んだ。さて、そういわれると面白くないのは付き添ってきた野尻さんだ。彼女が成田に着いてから、ずっと付き添ってきた。

「失礼しちゃうわ。このおばさん…」とつぶやいた。彼女のために仕事を休んで付き合っている。翌日は京都にも同行する予定だ。京都では、今はない外資系ソフトカプセルメーカーのアールピー・シーラの日本支社の社長だった谷口さんが案内してくれることになっていた。この人は米国で長くビジネスマンをやっていた人で、当然英語は堪能だ。きっと「オー!」というのか、「マーベラス!」というのか、とにかく感動してみせるのに違いない。野尻さんとの道中がなんだか心配になった。

(ヘルスライフビジネス2017年5月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第76回は2月13日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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