正田会長の幻のインタビュー(76)
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展示会最終の朝、早起きをしてみんなで築地の場外で寿司を食おうということになった。行くのは葛西博士、岩澤君、宇賀神女史、それに私の総勢4名。散歩を兼ねて築地まで歩くことにした。
晴海は東京湾の埋め立て地だ。築地に行くには晴海通りを銀座に向かって、黎明橋、勝鬨橋の2つの橋を渡る必要がある。距離にして2㎞弱で、朝の散歩としてはまずまずだ。
岩澤君が歩き出してしばらくすると皆から遅れだした。へいへいと息を切らしている。「運動不足ですかね」という。確かに最近を太鼓腹になっている。
築地第二小学校を右に勝鬨橋を渡り始める頃になると、頬を汗が伝っている。奥さんからダイエットを仰せつかっている葛西博士も、ちょっと足取りが重い。
「橋を渡ればゴールだから、頑張りなさいよ」と宇賀神女史はやたらに元気だ。
橋の上に出ると川風が心地良い。見上げる勝鬨橋はあの時のままだ。子供の頃に父の仕事の関係で一時期月島に住んだことがある。それでよくこの橋を渡って銀座に遊びに行った。あるとき勝鬨橋まで来ると、橋の途中から上に跳ね上がっているのに出くわした。隅田川を大型船が通れるようにするためだそうだが、巨大な橋が真っ二つに割れて、その先端が天を仰いでいる。これを見て興奮したのを覚えている。その後、大きな船の行き来がなくなって、跳ね上げ橋ではなくなった。
そんなことを話しているうちに築地に着いた。築地には競りが行われる場内と一般客が買い物できる場外がある。私たちが目指す寿司屋は場外の「寿司清」である。朝8時過ぎだが店内は客でにぎわっていた。こんな時間から刺身をつまみにお酒を飲んでいる人もいる。河岸の仕事は早いから、この人たちにとってはすでに仕事は終わったも同然な時間なのかもしれない。
カウンターに陣取って、それぞれが寿司を注文した。「会社持ちだ」というとみんな遠慮なく注文する。マグロ、卵焼き、タコ、それにトリガイ。次々に口に放り込む。岩澤君はトロばかり食べている。宇賀神さんは巻物が好きだ。葛西博士は青森県人らしくホタテが美味いという。しかし私はなんといってもコハダだった。特にここのコハダは美味しかった。旬は秋だそうだが、ここで食べたコハダの酢と塩加減の塩梅は忘れることができない。
やや贅沢な朝食を終えて、展示会場に来てみると、事務局には園田社長、編集長、清水社長などの面々が集まっていた。
「遅い!正田会長は11時に来るぞ」と編集長に一喝された。日清製粉の正田英三郎会長のことで、現在の美智子皇后の御父上だ。それでか、扱いが違う。通常、晴海に来る人は展示会場の正門前で車を降りて、それぞれの館まで徒歩で行く。しかし展示会の事務局との話し合いで、正田会長は南館の入り口まで車を乗り入れることになった。いわゆるVIP待遇である。しかも製粉関係の会社の社長が勢ぞろいして、各社のコマでお迎えするのだそうだ。
「取材のチャンスだ」と編集長はいう。日本製粉、昭和産業などの社長が来るということだ。すぐにブースを回って各社にインタビューの依頼をすると短時間なら問題ないという。日清製粉のブースには松本さんがいた。松本さんは最近健康食品部門の責任者になった人で、いつもニコニコして愛想がいい。正田会長へのインタビューは快諾してくれた。
11時ちょっと前に、正田会長を会場の入り口で待っていた。運悪く入り口の受付は混み合っていた。「正田会長がいらっしゃいました」と誰かが告げると、入り口に数人の人が入ってきた。その中に会長らしき人は確かにいた。おそらく社員であろう、さらに数人の男性が会長を取り巻いた。どうも近付きづらいと思っていると、その中に松本さんを見つけた。近づいて、「インタビューを」というと、会長は私のほうを見た。しかし松本さんは緊張した面持ちで、私に一瞥もくれないで、腕で払いのけると、会場の中にその一団とともに姿を消した。
(ヘルスライフビジネス2017年6月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)