チエコ、英語の勉強にリッチモンドに来なさい(77)

2024年2月20日

正田会長のインタビューは空振りだったが、初めての展示会は何事もなく終わりを告げた。米国から招待したNNFAのローズマリー・ウエスト会長は野尻さんと新幹線で京都に行き、楽しい思い出を作ったようだ。なんといっても英語の達人の谷口さんの接待が良かった。谷口さんの自宅は京都だったので、家にも招待してくれたそうだ。お金持ちだから相当な家だったのだろう。料亭でも会食したという。

谷口さんの会社は東京の赤坂にあった。そこで社長をしていた。それで東京に住んでいると思っていたが、おそらく単身赴任で来ていたのかもしれない。米国の暮らしが長く、外国人の扱いはお手の物だった。

それでウエストおばさんは実に満足な日本の旅を味わった。付き添った野尻さんとも打ち解けたのだろう。こうした会話も交わされた。

あるとき「チエコ、あなたは英語を勉強したいのか」と聞かれた。もちろん勉強したいと答えたそうだ。するとおばさんは「リッチモンドに来なさい」という。私の家に来て学校に通えばいいという。大きな屋敷に一人で住んでいるから部屋はいくらでもあるそうだ。

そこで野尻さんはご主人のことを聞いた。するとウエストおばさんは思わず涙ぐんで、「今はもういない」といった。このとき情の女、野尻千恵子の心が動いた。野尻さんの中で「ホウキに乗った魔法使いのマーバラス婆」は、「善良で寂しい未亡人」というになった。

深厚そうな顔をして、「ご主人を愛していたのね」という。こうした妄想を抱いていない私は「離婚したんじゃないの」と軽率にも口にした。すると野尻さんは怒りだした。

「何言ってるのよ!亡くなったに決まっているでしょう」という。「本人に聞いたの?」というと、「聞ける訳ないじゃないの。泣いたのよ」という。涙ぐんだ表情は絶対に愛した人を失ったからだと言い張る。

「だいたい、あなた方はマーバラス婆なんて言って、面白がっているから、あんな純粋な女性のことを分からないのよ」という。確かに純粋な女性とやらが世になかにいればだが、そんな女性を私はまだ知らない。とはいえ、とにかくえらい剣幕だった。

それでその年の秋に彼女は秘書の仕事をきっぱりやめて、リッチモンドに行った。もちろん彼女の家に下宿して、英語を勉強するためだ。女とは思いこむと凄い行動力だと感心した。そういえば、「女の一念岩をも通す、男の一念豆腐も通さぬ」ということを聞いたことがあるが、情けない話だ。

さて半年もすると、渡米した野尻女史はリッチモンドではなくフィアデルフィアにいるという噂が聞こえてきた。変だなと思っているとその後、日本に一時帰国した。聞くと、「あの婆さん、とんだ食わせ物だったわよ」と言葉がだいぶ下品になっている。リッチモンドの家に行くと、「チエコ、何しに来たのか」と言われた。自分が英語の勉強に来いと言っていたくせに、あれはリップサービスだった。

家にあなたの居るところはないといわれた。仕方なしにフィアデルフィアの祥子さんのところに転がり込んだ。祥子さんは祥子・モヤイネヘンというフルネームだった。九州熊本出身だが、米国人と結婚してフィアデルフィアに住んで通訳をしていた。たまたま我々のツアーで通訳してもらったことが縁で仲良くなった。

しかし野尻さんがそこに住んだことで、当時大学に勉強に来ていた今のご主人と知り合って、大学の教授婦人に収まったのだから、野尻さんにとってマーバラス婆は魔女ではなくキューピットだったのかもしれない。

(ヘルスライフビジネス2017年6月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第78回は2月27日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

関連記事