“台北の浅草”華西街の夜を行く(85)

2024年4月16日

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ホテルに着いたのは夕方だった。ロビーに入ると冷ややかな空気に包まれた。フロントでカギをもらい、エレベータで指定された階へ上がった。廊下で客室係らしき制服の男とすれ違った。部屋に入るとシャワーを浴びて、ベッドに横たわった。台湾の亜熱帯の気候はいくら若くてもしんどい。冷房の効いた部屋は心地良いものだ。しばらくするとようやく人心地がついた。

「まだ早いからしばらく休みましょう」と岩澤君はいう。誘われている夕食の時間までまだ1時間はある。誘ってくれたのは台湾海洋牧場の支社長の佐藤さんという人だ。本社は日本で、台湾担当の佐藤さんは日本の本社との間を行き来しているそうだ。それで岩澤君が何度か会っていた。

「喉が渇いたねェ」という岩澤君にいうと、冷蔵庫を開けた。しかし中は空だった。そのときドアをノックする音がした。

「どなたですか」とつい日本語でいうと、「客室係です」という答えが返って来た。怪しいものではなさそうなのでドアを開けると、先ほどの制服の男が、愛想笑いを浮かべてそこに立っていた。

手にしたお盆の上には2つの湯飲みが乗っている。「暑いとき、熱いお茶が渇きいやすのことです」と変な日本語をしゃべりながら、楊さんという客室係が部屋の中に入って来た。チップ目当てだろうと思ったが、「これサービス」と、察しがいい。

お茶を受けとると、愛嬌のある、そしてちょっと嫌らしい笑いを浮かべて、「お客さん、女、好きね」という。嫌いな奴などいるわけないというと、今度は「女いるよ」とまた嫌らしい笑いを浮かべる。これが目的らしい。「仕事で来ているから、女はいいよ」というと、その程度ではめげない。今度は岩澤君に話を持ち掛ける。なかなかの商魂である。せめてリストだけでも見てほしいという。

私の女性はすべてアルバイトで本業は学生かOLだという。覗き込むと20人はいるだろうか。にやにやしながら、「お客さん、すきね」と私を指さす。「この娘は22歳で、美人、この娘、顔はまあまだけど、29歳だけどスタイルいいね」と解説を続ける。さらに病気が怖いから、ちゃんと検査に合格した娘しかいないと安全安心を強調する。「顔写真ないの。顔写真」というと、「残念ですがありませんのことです」と楊さん。

「今日は出かけるから無理だね」というと、台湾に何時までいると聞く。明後日東京に帰るというと、ビジネスチャンスはもう一日あると踏んだのか、「また明日ね」とすごすご帰って行った。

しばらく休んで約束の時間が来たので部屋を出た。エレベータを待っていると、また楊さんに出くわした。「キームラさん」ともう私の名前を憶えている。愛想笑いを浮かべ、「女、好き」と私を指さす。本性を見破られたようで、いささか気になる。このフレーズは日本に帰る日まで、出くわすごとに挨拶代わりに言われることになる。

ロビーに降りると、佐藤さんが待っていた。夏の日は長い。外はまだ昼のような明るさだった。タクシーで連れて行かれたのは龍山寺という寺だった。なにも佐藤さんが信心深いわけでもない。この寺の周辺は台北一の繁華街「華西街」で、日本では浅草の浅草寺の周りのような場所だった。

「少しは観光が出来そうですね」と岩澤君は嬉しそうだ。旅行ガイドに台北の観光名所としてこの龍山寺と円公園が紹介されていた。境内に入った人は火のついたお線香を何度も捧げ、大きな香炉に立てる。もやもやと狭い境内には煙が漂っている。その脇で赤い三日月の木片を石畳の上に投げている人がいる。

「あれはおみくじです」と佐藤さんはいう。しかし正確に言うと、おみくじを引いてもよいかお釈迦様や観音様にお伺いを立てるのだそうだ。3回まで挑戦出来るのだそうだが、一つが表、一つが裏と出ないとお許しが出たことにならないそうで、おみくじは引けないらしい。台湾の人は神仏には意外に謙虚なのだと感心した。

(ヘルスライフビジネス2017年10月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第86回は4月23日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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