財団法人の事務局に片桐さんが移った(186)

2026年3月24日

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4月1日に財団法人日本健康食品協会が設立された。発表では理事長には佐賀大学の教授で、日本栄養研究所(日本健康・栄養研究所)前所長の福井忠孝さんが就任した。さらに副理事長にはこれを支える3つの団体の代表が就任すると言う。

それで、その一つである全健協の市ヶ谷にある事務局に行った。理事長の中村さんを捕まえて話を聞くためだ。アポイントはなかったが、理事会の日程からいることは分かっていた。出て来た中村さんは機嫌が良かった。

「念願が叶いましたね」と言うと、さすがに嬉しそうだ。「ようやくだよ」とほっとした面持ちだ。ただし副理事長として運営に関わるわけで、「これからが大変だ」とも言う。当面の間、何をするのか聞くと、まず協会の体制をつくることだと言う。これだけでは記事にならない。すると「それに品質基準を作ることかなあ」と言い出した。これは記事になりそうだと、さらに突っ込んで聞いくと、「いずれ分かる」と言って詳しくは話してくれない。

「それより、片桐君が財団に移るんだよ」と話をはぐらかされた。「そうそう用事がある」と言い残して、足早事務所から出て行った。

そういえば事務局長の片桐さんは先ほどから、荷物の整理をしていた。それで聞くと「以前から財団に関わっていたからでしょうね」と言う。任意団体の事務局長から財団法人の事務局に格上げである。栄転である。

「あいつは立ち回り方がうまいから…」と漏らす幹部もいたことを思い出した。確かに我々に対する対応も官僚的ですきを見せないと言うのか、万事そつないと言うのか。だから取材してもつまらない話しかしないので新聞屋には不人気だった。もしかするとそれは片桐さんの性格であり、長年培われた処世術かもしれない。だからと言って立ち回り方がうまいとは気の毒な気もする。

それに運もある。初めて会ったのは大久保駅近くの新宿百人町の日本健康自然食品協会の事務所だった。薄暗い4人も入ればいっぱいになるような狭い事務所だった。一人で仕切っていた事務局長が年をとって引退した。その後釜が片桐さんだった。

この頃からマイナーだった業界が注目されるようになった。さらに日本健康自然食品製造事業協会と合併して、全日本健康自然食品協会(全健協)が出来た。事務局長は片桐さんになった。協会は会員も増えて、資金も豊かになった。世間では健康食品がブームになっていた。それで悲願の財団設立に向けての動きも加速した。ところが悲願が叶いはしたが、それまで唯一の業界団体だった全健協は業界団体の一つとなった。これからは財団法人日本健康食品協会が業界の中心になることは誰の目にも明らかだった。

しかし転出を決めた協会の幹部にはそれなりの意図があってのことだと思った。それまでの業界は全日本健康自然食品協会が仕切って来た。しかしにわかに他の団体が出来て、その上に財団が設立された。そして財団は3団体で確か1億円を集めて発足したのだ。

しかしその前身の財団法人日本健康食品研究協会は全健協の幹部たちが基金を出し合って作ったものだ。その基盤の上に、今回の財団があると思えば今後も自分たちが主導したいという気持ちがあっても不思議はない。どうせ他の団体は企業の図体ばっかりは大きいが健康食品のことなんか皆目分からない連中だ。

「そう思うから、新しい協会をコントロールするために片桐さんを送り込んだ」と私の推理を言うと、「案外当たっているかも」と葛西博士が賛同した。

財団がスタートすると厚生省のOBが事務局長に就任した。この人がなんだか変な人で、評判がひどく悪かった。すると半年ほどで首がすげ変わった。あとで聞いた話では副理事長たちが厚生省の健康食品対策室と話し合って、変えたそうだ。片桐さんを送り込んだ効果があったのかもしれない。その後、片桐さんに役が付いたのはその証拠だと私たちは思った。

(ヘルスライフビジネス2022年1月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第187回は3月31日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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