ダイエットと言えば売れた時代(188)

2026年4月7日

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奈良に出張した。ハトムギの健康食品で知られた太陽食品に行くためだ。要件はハトムギ特集の取材と広告のお願い。その会社は大阪の難波から近鉄奈良線で近鉄奈良駅まで約50分、タクシーで10分くらい。途中、鹿の遊ぶ奈良公園を通り、奈良ホテルの脇を抜けて、しばらく行った畑の中に本社社屋があった。

事務所に入ると、この会社の大番頭で専務の荒川さんがニコニコして出てきた。この人は優しそうな人で、いつもいろいろと気遣ってくれる。言葉は関西弁なのか、奈良弁なのか、こちらには区別がつかないが、とにかく訛りがある。ブームで会社の業績も良さそうで、機嫌をよく迎えてくれた。社内に案内されて、椅子に座ってお茶をすすっていると、社長の竹川さんが出てきた。

「そうなんだよ。マッハのおかげだけど、最初に出た本はもっと前だ」

マッハとは前号で書いたマッハ文朱のことだ。今の人には馴染みがないかもしれないので、もう少し詳細に書く。なんといってもマッハ文朱と言えば、当時は大変な人気だった。彼女はスター誕生で山口百恵と競って敗れた。その後、生まれつきの体格を生かしてプロレス界に転身、女子プロブームの先駆けとなった。プロレスラーとして人気があるだけではなく、歌手としてもヒットを飛ばし、引退してからは歌手・タレントとしても活躍していた。

最初のハトムギブームは3年前だったが、そのブームに火をつけたのもマッハ文朱の本だった。確か『マッハ式やせてびっくり』(講談社)と言うタイトルの本だ。この本の内容は20歳頃に彼女はニキビに悩まされた。それで姉に勧められたハトムギで20キロも痩せたと言う。これを書いてベストセラーになった。そしてこの影響で、ハトムギの健康食品も空前のヒットを記録したのだ。これは彼女の書いた初めてのダイエット本だった。この2回のヒットで彼女は「ハトムギの伝道師」と言われるようになった。

 竹川さんに「売れている」の言葉を聞けば取材はほぼ終わりである。広告も頂いたので帰り支度をしていると、食事に誘われた。まだ昼前だが行きつけの居酒屋で美味い昼飯を食わせるところがあると言う。着くと客はまだ誰もいなかった。座敷に座ると、店主に「まず酒」と言う。

燗酒がぐい飲みに注がれた。「こんな時間から飲めませんよ」と言ってみた。しかし、広告をもらった負い目もある。もちろんこちらも好きである。結局、「じゃあ一杯だけ」と始まった。

「それにしても、有名人は有難いよ」竹川さん。そういえば前年にはタレントのキャシー中島、アイドル歌手で黒沢久雄の奥さんになった林寛子の共著が出た。タイトルは『月見草でいきいきやせた』(リヨン社)で、これがやはりヒットして、やはり月見草の健康食品も売れた。γリノレン酸だからアレルギーに効果があるのは分かる。しかしそれにしても月見草オイルがなぜダイエット効果があるのかどう考えても分からなかった。そういえばこの頃は何でもかんでもダイエットを言えば売れる時代だった。消費者、なかでも若い女性の間でダイエット熱がすごく高まっていた。

気が付くと時間は午後1時に近づいていた。お暇をして近鉄奈良駅に戻った。3時に大阪市内で取材がある。それまでに酔いを醒まさなければならい。駅の水道の水をがぶ飲みにして、電車に飛び乗った。

東京に帰ってしばらくして、このハトムギの普及を目的にした議員連盟が出来ているのを知った。岩澤君が見つけて来たのだ。

「ハトムギの会合で政治家と知り合いました」と名刺を見せた。名刺には参議院議員鈴木省吾とあった。


(ヘルスライフビジネス2021年9月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第189回は4月14日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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