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米国大使の入れたコーヒーを飲んだ(207)
「何をしているの。遅れるわよ!早く食べて行かなけりゃ」
あとひと月で妻になるはずの彼女とすでに暮らしていた。その彼女が妻のような顔で言う。遅れる!遅れる…。子供の頃から母親に何度も言われてきた言葉だ。そしてたいがい私は、「分かっているよ!」と言い返す。しかし分かっていない。繰り返し遅刻をしてきた。時間にルーズなのだ。
「だって今日は大事なスケジュールがあるって言たでしょう」
確かにそうだ。そこでふと我に返った。そうだ大事な予定があった。ポーリング博士と米国大使館に行く予定があったのだ。慌てて卵かけご飯を掻き込んだ。
この頃、米国大使館には商務官で稲葉厚さんという人がいた。大使館にとって有能かどうかは分からないが、私の印象では商売になりそうなことにはやたらに鼻が効く人だった。伊達に商務官をしているわけではないことは付き合い出してすぐ分かった。よく業界紙と組んで米国商談ツアーをしていた。商談ツアーで企業を大勢米国に連れて行けば、上司の覚えはめでたいだろう。
あるとき稲葉さんから聞いたことがある。米国大使館では毎年売り上げのノルマがあるそうだ。そしてこれは大使も商務官にもそれぞれある。もちろん額は立場によって違う。さすがは資本主義の国である。稲葉さんがそのツアーで得た情報でレポートを作って、個人的にいくらかのお金を得ていたとしても、ツアーで商談が成立すれば問題なしということか。
とにかくサプリメントの専門紙がノーベル賞受賞者のライナス・ポーリング博士を日本に呼んでいるということを大使に伝えたようで、それで我々も一緒に大使館に招待された。
「大使が直々にお会いする」との連絡があった。
この時期の大使はマイケル・ジョーゼフ・マンスフィールド大使だった。ニューヨーク生まれでモンタナ州育ち。モンタナ大学卒で母校の教授を務めた。その後1953年から24年間上院議員を務め、米議会の民主党会派の院内総務を16年の記録は未だに破られていないと言われる。1977年にカーター大統領に日本大使に任命され、共和党大統領時代も含めて11年間大使を務めた知日派である。
その頃、日本ではライシャワーさん以来の有名な大使となっていた。この大使に会えるということで、ポーリング博士に社長と私が同行した。私が行ったのは大した事情があるわけではない。他の人は展示会開催中で忙しかったからというだけだ。
大使館の受付には軍人らしき人が正装で立っていた。受付で来館を告げると、すぐに稲葉さんがやってきた。小太りで背丈もさほどない。やや頭髪は薄めである。まるい顔の鼻の下から口をぐるりと囲むように髭を生やしている。本人には気取っているつもりだろう、それほどでもない。
ポーリング博士と握手をすると「よくいらっしゃました」と挨拶、我々にも会釈した。「じゃあ、さっそく大使のところへ行きましょう」と先に立って廊下を歩き始めた。エレベータを降りるとすぐ大使の執務室へ向かった。稲葉さんがドアを叩くと、なかから返事があった。ドアノブを回してドアを開けると、明るい室内の真ん中に大使が立っていた。顔には笑みをたたえて、もちろん目線はポーリング博士に向けられている。
稲葉さんが博士を紹介すると、もちろん知っていると言うように頷いた。そして次に我々を紹介したが、親しげに頷いて、応接室に案内された。
座ると、ポーリング博士と大使は親しげに話しを交わした。大使は上着を脱いで、白いワイシャツ姿で腕まくりをしていた。ずいぶんくつろいだ風だと思っていたら、しばらくすると、立ち上がった。部屋の端にあった机でコーヒーを入れ始めた。そして我々に一人ずつカップを渡す。
アットホームな雰囲気で会話ははずんでいる。しかし英語のできない私にはちんぷんかんぷんだ。みんなコーヒーを飲み始めたので、私も飲もうとカップに口を使づけた。するとカップの淵に赤い口紅の後がまざまざと残っている。どうしたものか困惑したが、次の瞬間口紅を避けて、コーヒーを飲んだ。36年経っても忘れ得ぬ思い出である。
(ヘルスライフビジネス2022年6月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)
※第208回は8月25日(火)更新予定(毎週火曜日更新)