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株式会社になって株主になった(183)
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会社らしくするために雑誌部門と新聞部門をそれぞれ株式会社にした。それまで園田さんの個人会社で、経理は奥さんが握っていた。それで我々には経営状態は皆目分からなかった。新聞部門は展示会も加えるとかなりの黒字であることは間違いない。ところが雑誌部門は広告の売り上げも購読部数も伸びがなく、その割には社員の数も多いし、かなりの累積赤字を抱えていることは容易に想像が付く。しかし両方の財布が一つで、その中身は園田さんと奥さんしか分からない。
「これではいくら働いても、報われない」と新聞部門の社員から文句が出る。雑誌部門はこちらが本家なのだとの誇りが染みついている。なんといっても社長の園田さんからして、新聞部門が苦しいかったころは雑誌部門が面倒を見たのだから、今度はこちらに貢ぐのは当たり前だなどと公言してはばからない。
さらに雑誌部門が出している2冊の月刊誌は食品の技術系の雑誌で、出筆者は大学の先生や企業の研究機関の研究者でだ。編集者は「我々は理系の大学を出た専門家だ、どこの馬の骨か分からない新聞屋とはレベルが違う」という態度をとる。だから昨年新卒で雑誌部門に入ったばかりの宮川なども我々を見下したような態度をとる。
こん畜生!と思う。事務所が別だからいいものの、一緒ならつかみ合いの喧嘩が起きてもおかしくないくらいに、両者の間には険悪な雰囲気になっていた。
「社長があれじゃあ、雑誌部門が良くなるはずがない」と編集長も嘆く。それで「株式会社にすれば」と私が知恵を授けた。それぞれが株式会社になれば財布は2つになる。そして新聞社の方の株を持って役員になれば、経理の状態は分かるはずだ。そうなればいくら園田さんが社長だからと言って、勝手に雑誌にお金を持ち出すわけにはいかない。貸し付けなら出来るが、そのお金の額はちゃんと記録される。編集長も葛西博士も理系の大学だが、こちらは商学部なので、その辺りは幾分分かっている。
園田さんは両方の会社から給料を貰えると知って、このアイデアに乗った。2つの会社が出来たのは昨年で、これを今年一つにした。これは顧問の渡辺先生と編集長、園田さんの3人で決めた。明らかになった雑誌の方の負債を、新聞の方が持つと言うことで、話が丸く治まった。ただしこの条件として園田社長は会長に、編集長が社長に山本さんは常務取締役に収まった。
「この会社の功労者だから株を持ちなさい」との渡辺先生の一言で、私も葛西博士も株主になった。すると勉強好きの葛西博士は会社の経営の本を神保町の古本屋から買って来て、「株主が会社の持ち主だと言うことを知っているかい」と自慢そうに言う。アホかと思ったが聞き流した。すると取締役が持ち主かと思っていたとつぶやく。そんなことも知らないから、国立大学の大学院まで行ったのに、こんな会社に入る羽目になったのだと納得した。
会社の経営の方が忙しくなったが、編集長職は兼務のままだった。だから新聞は実質的に編集長が不在なままだった。なのに滞りなく発刊されていた。これは私と葛西博士が編集次長と言う役をもらい、実質的に編集を仕切るようになったからだ。
「お願いしますよ、編集長」と吉村君は言う。私は編集長ではないが「よいしょ」である。勉強をウイークデイに移して、土曜日は半日、日曜日は完全な休みにしてほしいと言うのである。いくらおだてられてもそうはいかない。
「だいたい、ここを何処だと思ってるんだ」と言うと、「何処でしょう」と聞く。
「問われて名乗るもおこまがしいが…」
するとニヤニヤしながら「白波5人男ですね」と言う。「そうよ!嫁ももらわず休みも取らず、日夜帳簿の記者勤め、思えば30歳の坂道超えて、編集長にはアト一歩、働き詰めのタコ部屋勤め、仕事中毒のおあ兄さんとはとは俺がことだ!」
「なんだか、えばってますね」と吉村君は呆れている。
(ヘルスライフビジネス2021年11月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)