ハトムギ大臣、機能性食品の制度化に一役買う(190)

2026年4月21日

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この後、鈴木省吾さんとはまた会うことになった。社会党の丸谷金保議員が参議院の決算委員長に就任した。このパーティーがホテルニューオータニの宴会場で開かれた。

「なかなか豪華ですね」と岩澤君は会場に入るなり、宴会場の様子に驚いている。社会党だと言っても、同じ国会議員であれば、自民党をそう変わりはない。ましてや参議院の委員会の委員長に就任したとなれば、こうした宴会を開くのは慣例なのだろう。

この丸谷さんのことは、今までにも紹介したから覚えている人も多いと思う。北海道南東部の広大な十勝平野の真ん中に池田町がある。丸谷金保さんはそこが出身地だった。明治大学を卒業して地元紙の新聞社記者になる。そして町長になった。

ところが1952年(昭和27年)に十勝沖地震に続く冷害の凶作に苦しんでいた。そんな中、丸谷さんは山野に自生する山葡萄に目を付けた。青年たちとブドウ愛好会を作って、ブドウづくりを始めた。そして1963年(昭和38年)には全国の自治体で初めての酒類試験製造免許をとってワイン製造を開始した。これが数年たって「十勝ワイン」になる。地域活性化に成功したワイン町長としてマスコミに名を売った。そしてこの知名度を生かして参議院議員になったのだ。

この丸谷さんは大学時代渡辺正三郎さんという同級生がいた。彼らのつながりは大学だけではなく、玄米菜食のつながりでもあった。戦前の話である。当時、桜沢如一らが広めていた運動に関心を持ったのだ。そして後に渡辺さんが健康自然食品業界のリーダーなり、丸谷さんが参議院議員なったことで、何度か薬事法の規制の問題について国会で質問してくれるようにった。それを何度も取材で取り上げて来た。この頃には業界でも知られる存在になっていた。

パーティーが始まると、「本日は牛の丸焼きもございます」と司会の声が響いた。岩澤君は若いだけに肉には目がない。会場の端に人だかりが見える。「すげェ!」と言ってその方向に近づいて行く。と、確かに牛の丸焼きらしきものがあった。そしてその後ろに丸谷さんと並んで、竹下登さんがにこやかに微笑みながら立っていた。

竹下登さんと言えば、この年2月に田中角栄さんに反旗を翻し、創生会(後の経世会)を立ち上げた、今やときの人である。そして2年後には総理大臣になった。

会場は立食パーティー形式である。壇上に近い前の方の机に行くと、見覚えのある顔があった。鈴木省吾さんだった。

岩澤君がいち早く見つけて、挨拶すると、「おう!」と片手を上げて応じた。私も頭を下げると、「あんたも来とったのか」と覚えてくれていた。世間話をしながら、水割りのウイスキーを飲んでいると、入り口から数人の取り巻きを連れた人が入って来た。我々の机の近くを通り過ぎるとき、その真ん中の人物が鈴木省吾さんに気付いた。明らかにこちらを向いて、チコンと頭を下げた。鈴木内閣で大蔵大臣、この年の暮れに発足する第2次中曽根内閣では経産大臣になる渡辺美智雄さんだった。あまり背が高くないが、薄暗がりの中でやたらに顔だけが大きく見えた。

この年の12月の内閣改造で鈴木省吾さんも法務大臣になった。お祝いを兼ねて、インタビューに社長と岩澤君が行ったが、大臣室で会った大臣の鈴木省吾さんはいつもと変わらない、飾り気のない人だったようだ。

記事は年明けの号に掲載された。この記事を厚生省の対策室の誰かが覚えていた。1987年になって稲葉室長から電話があった。

「鈴木先生を紹介してくれないか」

ちょっとお願いしたいことがあるんだと言う。この時は省吾さんも機能性食品の制度化に自分が一役買おうとは思いもしなかったに違いない。

(ヘルスライフビジネス2022年3月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第191回は4月28日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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