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今村光一の話しで覚えている2つのこと(197)
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翌日である。せっかく海に来たのだからと、勉強会の前にみんなで海岸を散歩した。暑さも収まり、すっかり秋らしくなった。空は晴れていたが、少し風があった。海岸には人影はなく、彼方に三浦半島が見えた。
「おーい」と海に向かって葛西博士が叫んだ。まるで青春ドラマの一コマのようだ。
波打ち際で女性たちは貝殻を拾っている。海藻や流木に流れ着いたゴミが混ざって、砂浜のところどころに打ち上げられていた。そんななかに透明で薄いブルーの樹脂のようなものがへばりついているのを見つけた。クラゲの死がいかとも思ったが、なんだかコンドームみたいにも見えた。
それを指で突っついたのが間違いだった。指先にチクリとして痛みが走った。やはりクラゲだった。慌てて指を口で吸った。そして唾液を吐きだした。
「どうしたの」と後から来た宮川さんが声をかけた。雑誌の駆け出しの編集者だ。「たぶんクラゲ」と言って、彼女の方を見上げると、「刺されちゃたの」と言って私の指先を見ている。「でも平気だよ」と言って、立ち上がった。
ホテルの方から社長の声が聞こえた。「勉強会を始めるぞー」と言っているようだ。会議室で勉強会は行われた。
始めは今村光一の講演だった。テーマは「ジャーナリストとは」だったが、何を話したかはほとんど記憶にない。ただ、この話だけは覚えている。一つはイギリスの大衆紙の日曜版「サンデータイムス」の記事についてだ。
今村光一は早稲田大学英文科中退している。英語との縁は高校の時代に遡る。米国の思想家ヘンリー・デヴィッド・ソローの『森の生活』を原書で読んだらしい。そしてそれ以降英米の作家の本はすべて原書で読むようになったと自慢していたある本で書いていた。
当時を知る同級生の小山さんによると、「こいつは英語だけは天才だった」と言うからホントだったのだろう。ただし大学の授業にはほとんど出なかった。大学の先生より自分の方が出来ると思ったからだそうだ。とにかく中退して翻訳家になった。家に行ってみると本棚は英語の本で埋まっていた。
話が一通り終わると質問してみた。新聞として一番評価しているのはどの新聞社かと。すると「サンデータイムス」だと言う。評価の理由として、アフリカの紛争を取材した記事を挙げた。この頃、アフリカのエチオピアでは100万人の死者を出す大干ばつによる大飢饉が起きていた。そしてスーダン、ソマリア、ジブチなどの武装集団のテロ、さらには各地で内戦なども起きていた。こうしたアフリカの状態を取材するため、こ新聞は何人かの記者を1か月以上この地域に送り込み、紛争や飢餓の背景にある民族対立まで、詳細に取材して記事にしている。
「日本の新聞ではこうは行かない」と厳しい。記事に厚みがないと言うのだ。
もう一つはビタミンCで知られたノーベル賞受賞者のポーリング博士を取材したときのことだ。カルフォルニアのポーリング研究所で会った博士に開口一番、「あんたのことはあんたより知っている」と言ったのだそうだ。
またホラ話かと思って「本当ですか?」と言うと、やや気色版で「ほんとだよ」と言って、親指と人差し指を広げてこれだけの厚みの資料を読んで取材に臨んだんだと言う。それで話すうちに、博士は今村光一の言うことが本当だと思うようになり、大変打ち解けてなんでも話してくれたそうだ。確かにジャーナリストとしての姿勢はこうあるべきだと納得した。ただしこれがなかなか出来ない。
今村光一の話はこれで終わって、続いて我々の出番で、米国市場の動向の報告となった。終わったのは結局午後1時を過ぎてしまった。帰ったはずの今村光一が窓から顔を出して「釣りはどうするの」と聞く。しかし東京まで3時間はかかる。食事をすればそれ以上が必要になる。
それで釣りは諦めで、東京に帰ることになった。「ここまで来て釣りをしないの」と未練たらたらだ。しかしそれを振り切って我々は車を出した。「釣りをやろうよ~」と言いながら、しばらく自転車で追いかけて来た。
(ヘルスライフビジネス2022年6月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)