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ポーリング博士が本当に来た(200)
その日、私は野尻さんとポーリング博士を迎えるため、成田空港の第2ターミナルの到着ロビーの出口にいた。野尻さんは記者の先輩だが今は別の会社の社長秘書をしている。そんな彼女が私と一緒にいるのは、英会話が出来るからだ。
以前、この連載でも紹介したが、彼女は全米栄養食品協会(NNFA)の理事長のローズマリー・ウエストさんを日本に招待したとき、案内役をやってくれた。この時は京都見物まで同行してくれたので何とか通じる会話は出来たのだ。
もちろん、京都にはもっと英会話が堪能なR.P.シーラ社日本法人の谷口社長が待ち構えっていったのだから、うまく行かないはずがない。これが結構、自信になったのだろう。
ウエストさんの口車に乗って米国に語学留学し、大変な思いをした。このことは以前にこの連載で書いた。ともかく曲りなりにも1年フィアデルフィアでホームステイしながら英会話を学んだので、この程度のことを出来ないわけはないと思っていた。
ところが、あにはからんや、断ってきた。仕事が忙しいからかとも思ったが、彼女にお願いしたい30日は日曜日である。仕事があるはずがいない。と言うことは会話の問題なのだろうか。
そこで、「空港で博士を出迎えて、挨拶して、タクシーで都内のホテルまで送り届けるだけだよ」と言ってみた。すると「ああ、そうなの」と急に納得したようだ。もしかして通訳と勘違いしたのかもしれない。それにしてもこの人は素直ではない。
「簡単な仕事じゃない」と言うと、「そんならあんたが自分でやったら」との返事が返ってきた。そこを何とかと、さらに説得して、ようやく了解してくれた。
ところで、英会話以外に不安なことがもう一つあった。私も野尻さんもポーリング博士に会ったことがなかった。一昨年、招聘状を持って、サンフランシスコのメンローパークのライナス・ポーリング医学科学研究所を訪ねたことはあった。しかし、そのときポーリング博士には不在だった。つまり顔を見たことがないのだ。
ましてや野尻さんはこの仕事を離れて何年も経つ。ビタミンCのポーリング博士の名前くらいは聞いたことはあっても、顔を知るわけはない。
到着ロビーで降りて来る人の何割かは日本人だが、あとの何割かは外人客に違いない。サンフランシスコ発で成田着のユナイテッド航空便である。ジャンボ機だと満席で1300人は乗る。米国人で高齢者の白人なんて、沢山いるに違いない。すると葛西博士が前年に出た本を持って来た。
「この表紙の顔の人だよ」と本を手渡してくれた。『ライナス・ポーリングの83年』(共立出版)と言うタイトルの本だった。確かにその表紙に微笑むポーリング博士の顔写真が載っていた。と言うことは博士の年は84歳と言うことだ。だとすると相当のおじいちゃんではないか。そんな高齢なのに遠路はるばる一人で来るなんて、平気なんだろうかと心配になった。
「ほら、出て来るわよ」と野尻さんが、「Dr. Pauling welcomes you to Japan」と書いた紙を扉の方へかざすように促した。暫くすると、カートを押しながら背の高い、ベレボーを被った写真そのものポーリング博士が扉から出てきた。キョロキョロしたかと思うと、すぐに私が持っている紙に気付き、にこやかに我々の方に近づいて来た。
本当にノーベル賞受賞者がやって来たと感動した。自己紹介すると、写真を数枚撮らせてもらった。それは翌日に発行された新聞の1面をデカデカと飾った。
(ヘルスライフビジネス2022年8月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)