細谷さんは退官し、私は結婚した(208)

2026年8月25日

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4月に入って東京大学医学部教授の細谷憲政さんが退官したことを知った。

「ようやく疫病神から解放されそうだ」と事務所で顔を合わせた葛西博士に言うとニヤニヤしながら、「木村君、それは甘いね」と言う。この男は何か知っているのか、持った付けた言い方をする。ちょっとむかついたが、理由を聞くとなるほどと思った。

国立大学や国の研究機関の先生が退官した先生方は、たいがい私立大学の教授に天下ることが多いと言う。確かに今まで辞めた人を思い返してみると、たいがいが天下っている。国立栄養研究所(国立健康栄養研究所)だと東京農業大学や女子栄養大学あたりが相場だった。ところが東大医学部教授ともなると、そんじょそこらの私立学であるはずがない。そして天下った後も、国の委員など続ける人がいるわけだから、その後も健康食品に関わって来ないとも限らない。

「疫病神の祟りはこれからもあるかもよ」

この指摘が正しかったこと数年後に分かることになるが、この時期はまだそうは思ってはいなかった。

とにかく私たちが得ていた情報から、細谷さんは新たな天下り先が決まっていないと思っていた。ビタミン問題でケチが付いて、受け入れ先が決まらないと言う噂もあった。身体を壊していると言う話も聞いた。とにかく年度は替わったのに天下り先が聞こえてこないことは確かで、ならばしばらくは祟りも起きそうにないとホッとしていたのだ。

ところがこの後、2年ほどして国際学院埼玉短期大学副学長に就任したことが分かった。さらにその後、茨城県健康センター長になったとの噂も聞くようになった。しかもこの間、国の公衆衛生審議会委員、栄養所要量の策定委員会の委員長として前年の第三次策定に関わっていた。退職後も1995年の第五次改定、2000年の第6次改定まで関わり続け、大いに通常の食品ばかりではなく、健康食品にも関わり続けることになる。

一方、私は4月の終わりに結婚した。相手は前の年にするはずだった原田眞弓だ。前年に一度は挫折したが、1年遅れてようやく結婚に漕ぎ付けたことになる。結婚資金は約束通り自分たちで負担した。しかし大したお金は出せないので、自ずから場所は限られていた。その中で多少見栄えを考えて、ホテルの結婚式場を選んだ。場所は私の実家のある東村山と妻の実家のある大田区の鵜の木の間をとって、渋谷東武ホテルにした。

見栄えと言えば、その当時、この辺りはトレンディーな場所だった。NHKに続く公園通りの坂の途中の左側にあるホテルで、渋谷は東急百貨店本店や東横百貨店などの東急村だったが、そこに西武百貨店が侵出して講演通り周辺は西武村のようになっていた。

なかでもファッションビルのパルコの中にはパルコ劇場が出来て、話題となる芝居が上演された。私も安部公房作の「愛の眼鏡は色ガラス」や寺山修司昨・演出の「中国の不思議な役人」、木の実ナナと細川俊之の出演したミュージカル「SHOW GIRL」も見に行った覚えもある。

少し下ったところにある東京山手教会の1階には小劇場の渋谷ジャンジャンがあった。吉田拓郎や中島みゆきなどが出演して話題となっていたが、私は生活派フォークのスターだった高田渡が酔っ払ったステージも見た記憶がある。とにかく青春の思い出深き場所であった。

披露宴には仕事の師である渡辺正雄先生や会社の園田会長、それに社長や葛西博士、岩澤君なども来てくれた。とにかく仕事が忙しい時期で、終わったあとホテルに一泊して翌日には新居となった田無のアパートへ帰った。月曜日からはいつも通りの仕事で、新婚旅行は翌年のボルネオ旅行までお預けだった。

(ヘルスライフビジネス2022年12月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第209回は9月1日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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