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新財団認可を巡り山東さんが橋龍さんをつなぐ(214)
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橋本龍太郎の他に業界が関係を持っていた国会議員はもう一人いる。前参議院議長の山東明子議員である。
女優だった山東さんが国会議員になったのは1974年だった。当時、総理大臣として飛ぶ鳥を落とす勢いだった田中角栄に請われて参議院選挙に出馬した。この時、NHKのアナウンサーだった宮田輝、女優の山口淑子、ニースキャスターの秦豊、漫才師のコロンビア・トップらが当選した。「タレント議員」と呼ばれたが山東さんもその一人で、125万票を集めて32歳と言う若さで最年少当選を果たしている。
同じ編集部でその頃の山東さんを知っている先輩がいた。会社の上司で常務も務めていた山本武道さんである。聞くと「10年以上前のことだかなあ」と思いつくままに話してくれた。
以前、港区の虎の門にジックと言う会社があった。ローヤルゼリーや酵素製品の健康食品を売っていた。この会社の創業社長は倉岡さんと言った。元熊本放送の幹部だったらしい。どうしたわけで健康食品屋になったのか知らないが、放送局にいただけに芸能界とつながりがあった。そこで女優だった頃の山東さんをコマーシャルに起用していたのだ。
「ポスターになっていた」と山本さんは言う。後年、虎の門にあった事務所で、そのポスターを見た記憶がある。
その後、議員になった山東さんと業界のつながりはほぼなかった。ところが1970年代後半に業界に後になって、業界はにわかに財団法人(日本健康食品研究協会)をつくる動きが出て来た。その中で政治家の力も必要になったようだ。
これに関わっていた業界団体の全健協で、森谷健康食品の社長の森谷さんとコーボンの社長だった。倉岡社長に相談した。倉岡さんは当時業界の来るべき将来を予期して業界の組織化などにリーダーシップを発揮していた。それでその倉岡さんに相談すると、山東さんを紹介され、付き合いが始まった。
山東さんはまだ新人の駆け出しだったが、自民党の食生活改善の小委員会の委員長などになっていた。そして田中派若手で将来を嘱望されていた橋本龍太郎さんに相談を持ち掛けたと言ったところのようだ。それで業界と橋龍さんとの付き合いも本格的に始まったと言うわけだ。
それまで橋龍さんは健康食品など怪しげで、取り締まるべきと考えていたようだ。しかし業者から話を聞くようになって、考えを改めたと協会の会報で語っている。
そして財団法法人化についてはかなり協力してくれたようだ。これが奏功してか財団法人日本健康食品研究協会は1979年認可された。ときあたかも橋龍さんは厚生大臣に就任していた。最大の味方が認可する側に回っていたわけだ。だから認可された10月1日には認証許可証の授与は厚生大臣室で、橋本大臣が行った。
手渡しながら橋本大臣は「なくしちったら、もうないよ!」と茶目っ気たっぷりに手渡したことが、協会の『健康自然食品史』に記されている。
(ヘルスライフビジネス2023年3月1日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)