放射能の雨で頭が禿げるよ(209)

2026年9月1日

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結婚する前から新居は東京郊外の田無に構えてあった。構えったといってもアパートの1階を間借りしただけである。キッチンと居間が一緒になったフローリングの部屋に畳敷きの2間で、どちらも8畳ほどあったのでそれで充分だった。隣にはもう1世帯住んでいたが、2階に何所帯かあったのか、付き合いがなかったせいか覚えていない。

西武新宿線の田無駅の北口の商店街を抜けると、青梅街道から新青梅街道に抜ける。それを渡ると畑と住宅が入り混じった地域になる。東大農場通りと呼ばれていたが、確かにその先に農場があった。その道が途中の二股を右に入ってしばらく行った北原と言うところにアパートはあった。駅からは15分以上かかる。郊外の閑静な住宅地と言いたいところだが、静かなことは確かだが高級感はない。単なる田舎の住宅地のアパートである。

独身の時に住んでいた西武線久米川駅近くのマンションの5階から比べると、夜はやたらに静まりかえっていた。だから夜中に新青梅街道を通る車の音がうるさかった。なかでも暴走族のオートバイの音は辺り一面に響き渡った。寝付く頃になると、アパートの隣の銭湯が閉まる時間で掃除を始める。風呂を洗う音や片づける桶の音がして気になった。

しかし住めば都である。5月に入ると辺りは春爛漫である。桜はすでに散っているが、街路樹や住宅の庭でハナミズキが白やピンクの花を咲かせていた。聞くところによると、この花は田無市(現西東京市)のシンボルだそうだ。つつじの花も盛りである。

休みの日には畑の中の道を母のいる東村山を目指して自転車を走らせた。5月の風は心地よい。田無タワーと言われた電波塔を過ぎると、畑の中に森が見えてくる。その森のなかには農家の集落がある。集落の中ほどに、工場があった。その建物の脇に作ったものが置かれていた。人の背丈ほどある手の形をした椅子である。見た瞬間に思い出した。芸術家の岡本太郎のオブジェに違いない。青、赤、緑など目立った色だ。

その日の帰りに雨が降り始めた、ポツポツと小降りだったので、多少濡れてもそのまま自転車を漕いで家に帰った。

「あなた放射能にやられるわよ」

妻はタオルを持ち出して私の頭をゴシゴシ拭いた。少し前にチェルノブイリ原発の事故が起こって、その影響が世界に及んでいた。

その頃はまだユーラシア大陸北部にソビエト社会主義共和国連邦と言う国があった。今はロシア連邦と言うが、その頃はまだ米国と並ぶ大国として君臨していた。ただし米国は自由主義で資本主義の雄だったが、ソビエトは社会主義の旗頭であり独裁国家でもあった。

1985年そこに改革・刷新を掲げる新たな指導者が誕生した。ミハイル・ゴルバチョフである。改革を意味するペレストロイカと情報公開を意味するグラスノチスで政治体制の改革を進めていた。ところが就任1年目の4月26日にキエフ州のプリピチャのチェルノブイリ原発の4号機で爆発事故が起こった。原子炉の爆発と同時に大量の放射線物質が大気中に放出された。

当時こうした事故を経験したことがなかったからか。それとも古い官僚体制が残っていたためか。それともこの両方だったかもしれないが、発表が2日も遅れた。そのためか、これによる死者数は33人とも4000人言われ、いまだに定まらない。さらに退避した人はなんと数十万人にも及ぶと言われる。

ウクライナ地域の被爆者が342万人に及んだとされ、爆発により放出した放射性物質は北半球全域に及んだと言われる。海外でも食品の中から放射性物質が見つかるなどのニュースが報じられたが、5月3日には雨の中から放射性物質が検出された。

「雨に濡れると頭の毛がはげちゃうわよ」と妻は心配した。でも大丈夫だった。今に至るまで、私は白髪にはなったが禿げてはいない。

(ヘルスライフビジネス2022年12月15日号「私の故旧忘れ得べき」本紙主幹・木村忠明)

※第210回は9月8日(火)更新予定(毎週火曜日更新)

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